統計学を真面目に学んだことがある人なら、「運に頼ること」の無意味さはよく知っているはずだ。
なぜなら統計学とは、運を制御できないという前提の上に構築されているからである。
つまり、幸運は再現性のない現象。努力の範囲外にあるもので、狙って実現できる性質のものではない。
とはいえ、人間というのはおかしなもので、統計やファイナンスの博士号を持つ人ですら、宝くじを買ったりして「運試し」を楽しんでいたりする。
これは本気の射幸心というより、お遊びとしての夢見にすぎない。金額も、もちろん生活を圧迫しない範囲だ。
しかし世の中には、射幸心が肥大して人生を崩壊させてしまう人もいる。
「もうそろそろ勝てるはず」と負けをギャンブルで取り返そうとして、さらに深みにハマっていく──これが危険な心理だ。
『理屈コネ太郎』は射幸心という言葉がわりと好きだ。
文字通り、幸運を「狙って」射抜こうとする心理であるところが、面白くもあり、厄介でもある。
そこでコネ太郎流の射幸心との付き合い方を紹介しよう。
■ 幸運は狙うものではなく、気づいて活かすもの
幸運は「私は幸運ですよ」と名札を付けて現れるわけではない。
人によって幸運と感じるかどうかも違うのだ。
だからこそ、重要なのは2つ。
幸運を見抜く選球眼
幸運を活かす打撃力
この2つを日頃から鍛えておくことが、射幸心を健全に使うコツである。
選球眼とは、単なるポジティブ思考とは違う。
ポジティブ思考は「前向きな考え方」だが、選球眼は「見極める能力」だ。
ボールをボール、ストライクをストライクと判断するセンスのことだ。
ポジティブ思考は誤用されやすい。選球眼には誤用がない。
■ 射幸心を活かすとはどういうことか
だから、コネ太郎の結論はこうなる。
幸運は狙うものではない。気づいて、ちゃんと活かすものだ。
そのために必要なのは、
目の前の現象から幸運を見極める感覚
見つけた幸運を行動に変える実行力
最後に余談をひとつ。
縁結び神社や縁切り神社に行くのは否定しない。だが、本当に結婚したい・離婚したいと思うなら、もっと現実的な判断と行動の力を鍛えた方が早い。
おまじないでは、幸運は呼べないし、活用もできないのだ。
■ まとめ
幸運は再現できない。だからこそ「選球眼」と「打撃力」が重要。
射幸心は「夢を見る力」でもある。ただし、使い方を誤ると危険。
幸運をつかむには、備える力と見極める力を日常的に鍛えておこう。
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