『理屈コネ太郎』が思う保守と革新リベラルの違い

本ページでは、理屈コネ太郎が考える保守と革新リベラルの違いについて述べます。あくまで理屈コネ太郎の管見内の独断と私見である旨をご理解の上読み進めていただければ、幸甚です。また便宜上、本ページでは、リベラル≒革新≒左翼としえいます。

理屈コネ太郎が周囲の保守人を観察して思った、保守人に共通している事は次の各点である。ちょっとあげてみると…

  1. 日本の独自外交と防衛の希求(のための憲法改正)
  2. 日本独自の古い文化の継承(一例として父系天皇)
  3. 戸籍制度の維持(と関連して夫婦同姓)
  4. スパイ防止法の制定(スパイ防止法に反対する人はスパイ)
  5. 外国勢力のサイレント侵略の防止(の現れとして通名廃止、公人の帰化歴公表と外国人による政治資金パーティー券購入禁止、電子機器による情報抜き取り防止)
  6. 東京裁判自虐史観からの脱却(現近代史学習の重要性の強調)
  7. 大東亜戦争の世界史的意義の整理
  8. 原爆や大空襲の戦争犯罪性の整理

などがあるようだ。日本の小・中・高ではこれらに関する事柄を殆ど学習しないので、日本の教育をノホホンと受けていると保守派と呼ばれるような思考回路の持ち主には育たたない。

保守的な思考回路や精神構造が育つには、日本人である自分たちの祖先はそもそもどのような人々で、最近の出来事でいえばなぜ大東亜戦争に突入したのか、そして敗戦後にどのような統治の仕組みをGHQによって押し付けられ現在にいたっているのか…についての近現代史の事実を、自分の知力と体力を用いて渉猟して体の中に血肉化させる作業が必要となる。

当然、戦後教育を暢気に受けていると、リベラルや左翼にはならないが、日本の在り方に無関心な人が大量に出来上がる(実は私もその一人だった)。

ではリベラルとか左翼とか言う人達はどうやって出来上がるのか?

まず考えられるのは、若い頃の理想主義者が中年になっても現実に対応できなかった場合だろう。

第二は、リベラルや左翼的言説が言論界や出版会で幅を利かせた時期があり、言論人や物書きとして生きていくにはリベラルや左派の方が都合が良かったからだろう。

第三は、なんか小難しい理屈を斜に構えてキャッチーにしゃべっていると異性にモテた…という事もあるかも知れない、

そして第四は、最近明らかになりつつある外国勢力のサイレントな刷り込み工作による内政干渉だろう。みんなで仲良く…は耳障りが良いが、その延長線上に外国人参政権が出てくると、私などは外国勢力の工作を疑ってしまう。

とにかく共通しているのが、リベラルな人達の日本の歴史に対する知識の浅薄さである。

日本に日本人として生まれ、日本の歴史を神話の時代から現代までを日本人が記述して文字ベースで勉強すれば、これはもうどうしたって保守的思考の持ち主になるほかはないのです。

日本のように、同じ地域にずっと同じ民族が代々生活して、ひとつの王朝が祭祀王を立てて現代にまで2000年以上継続しているのです。

地球儀を詳細にみても、こういう国は日本しかありません。欧州のどこの王族も、たぶん日本の天皇家より歴史は短いでしょう。

中国4000年の歴史と言ったりしますが、元や清の時代にはモンゴル族や満州族が支配していて、決して単一民族、単一王朝の国…という地域ではなかったのは歴史的に事実です。

むしろ中国とは継続して来た国ではなく、様々な民族や皇帝が入れ代わり立ち代わり政権を取ったり取られたりした「地域」なのです。

中国4000年の歴史とは、今は中国と呼ばれる4000年前から連綿と続く国のことではなく、多様は民族や多くの皇帝が争いを4000年にわたって繰り返した地域についての歴史なのかも知れません。

日本に日本人として生まれ、あるいは外国から日本にきて、そして日本の歴史や現状を真摯に学んだうえで、世界史的、地球儀的に考えて、日本の変容が必要だと考えたなら、それは堂々と主張して良いと思います。

しかし残念ながら、リベラルや左翼の人のなかにそういう人物を見つける事ができません。発言や行動の裏に何かの意図が見え透いている人が実に多いのです。

それだからこそ、最近は既存の左翼政党が衰退し、若くて日本史をあまり知らない人は、踊りや歌の心地よさと既成勢力打破という言葉が持つエクスタシーに魅かれてて新興リベラル政党を支持するのでしょう。

正直申し上げて、私理屈コネ太郎も日本の歴史について少しわかってきたのは55歳を超えたころからでした。丁度You Tubeで勉強系チャンネルが流行りだし、なんとなく興味が魅かれるままに視聴し、関連書籍を読むうちに、自分が日本という国の歴史や成り立ちにどれほど無知だったのかを認識したのです。

恥ずかしながら、硫黄島で戦死した人達や、特攻で死んだ人達を、私は「ダメな上官に命令されて仕方なしに犬死したかわいそうな人達」くらいに思っていました。

しかし彼らの壮絶な戦いが、戦後に日本が占領軍と交渉するうえで意味があった事を知った時は、恥ずかしさで顔が真っ赤になりました。

そして何よりこの年になって分かったことは、上官に言われたくらいで人は命をかけた戦地には行かないということです。命を懸けるには、それに値する何かがなければ人間はそういうい行動は取らないものです。

であれば、彼らが命を捨てても良いと思ったものはなにかと考えざるをえません。もしそれが、彼らが故郷に残してきた親兄弟、好きな女の子、そして日本国の同胞であったなら、いま私たちは彼らが懸けた命の上に生きている事にはならないでしょうか?

こう考えたとき、戦争はよくない…で思考停止してはいけません。戦争で戦って命を落とした人達までを否定してはいけないとやっと気づきました。

また、日本は核攻撃に2度も受けました、だからこそ3度目の核攻撃は絶対に受けてはならないのです。長崎や広島で被爆し他界した人達の無念を考えたら、いま生きている日本人の私たちが3度目の核攻撃を受けることはどのような手段を用いても回避しなくてはなりません。

そのための方法が、仮に日本が核武装する事であったとしても。

核廃絶の議論は、それはそれとしてやったらいいと思います。でも、日本が核武装して隣国たちに核抑止が効く状態で同じ土俵に立ってからやった方が絶対にうまくいくはずと思います。

おもえば、小泉訪朝で拉致被害者が帰国するまで、拉致事件などは存在しないと当時のマスコミや社会党の言い分を無批判に受け入れてしまっていました。

最近でいえば、2016年米大統領選でドナルド・トランプがヒラリー・クリントンに勝ったとき、アメリカ人大丈夫か?と思ったほどアホの私でした。

私、理屈コネ太郎は今後も自分の無明さに恥じ入りながら、それでも知識をアップデイトして生きていきますが、リベラル・左翼の人達にはそういう姿勢はありません。

存在ない被害者を作り、たどり着くことのない理想郷を語り、他人には厳しく、自分には甘く。リベラル・左翼がどういう人達かに気づかない無辜の民に向けて情報発信をし、会費をあつめ、正義の味方面して税金で生活していくのです。

今回は以上です。

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