マッチョで売ったアーネスト・ヘミングウェイの死が自殺によるものだと私が知ったのは成人してからだ。
それを知ったときのなんとも不思議な気持ちを今でも思いだすことが出来る。
『理屈コネ太郎』、今回もコネまくる。間違いがあってもいつも通りスルーで。
ヘミングウェイは、1899年(なんと19世紀の人だ)生まれ米国出身の小説家。1954年のノーベル文学賞受賞者である。
高校卒業後の翌年に赤十字の一員として第一次世界大戦中のイタリアに赴くが、そこで瀕死の重傷を負う。
戦後はカナダで新聞社のフリーの記者となり、特派員としてパリに渡りカルチェラタンに居を構える。
カルチェラタンといえばパリピの多い繁華な場所だ。家賃もハンパなく高かった筈だ。剛毅な通信社だっのか、ヘミングウェイの口車がうまかったのか。あるいは情報発信の多い場所だったのか。ときにヘミングウェイ22歳。そこで小説を書き始めた。
妻の出産のために一時期北米に戻ったが、1924年2月、妻と生まれたばかりの息子をつれて再びパリに。そのときに住んだのはカルチェラタンではなくモンパルナスの東。
このときすでに通信員の仕事はやめ、作家として成功するためにパリへ戻ったらしい。
米国人の彼が作家になるために何故パリ在住を選んだのか私には分からない。
パリの雰囲気が彼の創作意欲を刺激すると思ったのか、あるいはパリ在住って肩書きの響きが好きだったのか。はたまた、パリに集まる自称他称の芸術家たちとの交流を好んだのか。
因みにヘミングウェイ最初の長編『日はまた昇る』のマッチョな主人公もパリを訪れている。
2回目のパリ滞在の拠点はノートルダム・デ・シャン通り113番地(113 rue Notre-Dame des Champs)のアパートで、下には木材の製材所があった。
モンパルナス大通りの裏手で、大通りの喧騒が嘘のように田舎的な雰囲気がある界隈だったらしい。
でも、パリはどこも似た様なものだ。大通りから少し入ると、夜には人気のない窓に明かりだけが灯った静かな場所がやたらと多い。
モンパルナスといっても東のほうで、リュクサンブール公園まで徒歩10分、作家の集まるクロズリー・デ・リラまで近所。
かつて住んでいたカルチェラタンに比較的近かったことも、この場所に決めた理由だったとも言われる。
パリは不思議な都市で、現在では地下鉄やバスなどの公共交通機関は発達しているが、都市そのもののサイズ感が非常にコンパクトである。
その気になれば、パリ内のどの2点間の移動も徒歩で全然オッケーなサイズなのだ。
そしてパリには、市街の区割りに直角とか直線とかが少なくて、見通しが悪い。気まぐれに角を数回まがれば思わぬ場所に出たりして、趣深い街並みなのだ。
さて当時のヘミングウェイは、作家が集まるカフェ「クローズリー・デ・リラ」に通って執筆を続けたいらたしいとどこかに書いてあった。
ヘミングウェイは行動的な人物で、米国中西部生まれなのに、いやそれだからこそか、1930年頃にはスペイン内戦にもにも関わり、その経験を元に『誰がために鐘はなる』や『武器よさらば』などを書いた。
1954年、『老人と海』で、ノーベル文学賞を受賞。同年、2度の航空機事故に遭う。奇跡的に生還したが、その際の重傷のためのノーベル賞授賞式には出られなかったそうだ。
以降、これまでの売りであった肉体的な強靭さや、行動力を取り戻すことはなかった。
晩年は、自身の弱っていく一方の肉体の変化を受容できず、鬱病に苦しむようになり、作家活動も次第にうまく行かなくなっていく。
1961年7月2日の早朝、散弾銃によって自殺。当初は散弾銃の暴発と考えられたが、後に発見された遺書により自殺と断定されたとの由。
僅か62歳の人生であった。
しかし考えてみれば、高校卒業後に欧州に渡って詳細不明だが瀕死の重傷を負い、その後はパリで文学修業してノーベル文学賞の栄誉に与ったマッチョなアーネスト・ヘミングウェイには、老衰は全く似合わない。
アーネスト・ヘミングウェイの最期の時は、他者に押し付けられたものであってはならない。
彼自身が自ら選びとったものでなくてははらない。
ヘミングウェイはそう考えたのではなかろうか。
であるとすれば、彼の心情を今の私には多少は理解できるということになる。
とにもかくにもこの彼が後のアメリカ文学界に与えた影響は大きく、多くの作家が影響を受けていると告白している。
米国イリノイ州という中西部で生まれ、欧州を見てきたヘミングウェイの作品のハートを、日本人ではる私には、正直つかみかねる。
しかし『老人と海』だけは、時間も場所も無関係なく、1人の人間の能力・意思・老いだけが描写されているので、私にも作品の核心が分かる気がするのだ。
自分に割り振られた人生を直向きに生きている自負がある者なら、誰にでもわかるこの作品の核心。
ヘミングウェイは、創作活動の孤独を老人の孤独で表現したのではなかろうか。そして格闘の末に得た獲物が他の誰かに蝕まれていく残酷さと果てしなさ。
『老人の海』の老人がヘミングウェイ自身なのは誰でもわかる。
その老人の漁師としての孤独は、そのままヘミングウェイの作家としての孤独なのだ。
彼の創作活動は凡夫の想像を超える孤独な作業だったに違いない。だからヘミングウェイは、まだ得ぬ勝利と充足ある結末を信じて淡々と漁にでる老人を描きたかったのだと思う。
どんな無残な現実を目の当たりにしても、それでも明日の勝利と充足ある結末を信じる男を描きたかったのだと思う。
老人と海をまた読んでみようと思う今日この頃である。