ファーストライフとセカンドライフでの生き甲斐や夢の違い

セカンドライフという言葉に則って、セカンドライフ以前の人生を本ページでは便宜上ファーストライフと呼ぶことにする。

ファーストライフは言わば、人生の上り坂を楽しむ時期である。勉強したり、仕事に精を出したり、夢を追いかけたり、社会的な目標を立てたりと、何かに向かって前進することが生き甲斐になる。「何者かになりたい」「どこかにたどり着きたい」と思いながら、喜んだり苦しんだりしながら、心技体の充実と能力の拡張を伴いつつ、上へ上へと坂道を上っていくのである。色々な試練を経ながらも「もっと先に」「もっと上に」と目指す。いわばファーストライフでは夢が生み出すエネルギーによって、心技体の充実と能力の拡張に邁進すると言ってよい。ファーストライフのキーワードはその意味で「夢」である。どのような夢を持てるかに、ファーストライフの質が懸かっていると言って良いかもしれない。

しかし、その夢に向かっていた坂を登り切り、無意識なのか意識的なのか「ここが自分のたどりつける頂上かな」という瞬間が訪れるのが人生の面白いところである。心も体も、壮年者として完成形に近づき、世の中の仕組みもかなりわかるようになる。

そうしたときに、じつは人は自然とセカンドライフを歩き始める。これがいわゆる下り坂の始まりだ。頂点は既に迎えてしまったのだから、あとは下るしかない。下り坂なのだが、この下り坂には独自の楽しさが詰まっている。この下り坂にこそ、その人の人生の結晶が存在すると理屈コネ太郎は思う。

セカンドライフにおける愉しみの大きな特徴は、「逆算」という視点にある。ファーストライフでは時間など気にせずに夢を見て、それこそ夢中で生きていたのに対し、セカンドライフでは「必ず訪れる終わり」を念頭に置きながら、今この瞬間をどう生きるかを考える。

つまり、死をタイムリミットとして捉え、その限られた時間の中で自分なりの成長や楽しみを見つけるということである。下り坂だからといって惰性で降りるのではなく、「ここからどれだけ充実した経験を楽しめるか」と一分一秒を愛おしみながら試行錯誤するのが、このフェーズの醍醐味である。故に、セカンドライフのキーワードは「タイムリミット」であろう。

こう考えると、死は決して恐れるべきものではない。恐れたところで多少後ろ倒しできる程度である。むしろ、死によるタイムリミットがあるからこそ、セカンドライフを素晴らしいものに仕立てるエネルギーが湧いてくる。時間の経過を惜しみながら、日々の中に喜びや感動を見つけていく。そこにセカンドライフの生き甲斐や愉しみがあるのである。

ファーストライフの夢が「時間を気にせず自分の可能性の最大限の実現を目指すこと」だとすれば、セカンドライフの夢は「残り時間の中で可能な限り最大限の自分として生き切ること」である。どちらも素晴らしいけれど、その違いを意識することで、人生がもっと豊かになる気がする。

ファーストライフで培った経験や知識や人間関係や危機管理能力に基づいて、より現実的で合理的(もしかしたらファーストライルの時よりも壮大)な夢を再設定できるのも、またセカンドライフの素晴らしいトコロでもある。セカンドライフの質は、ファーストライフをどう生きたかにも依存するのだ。人生の上り坂も下り坂も、それぞれの景色を味わい尽くしたい。

ときどき、セカンドライフに突入しているのに、まだファーストライフのままの考え方でいる高齢者の方を見かける。私見だが、こういう高齢者は頼まれもいない時代遅れで見当違いのアドバイスを若い人に喋って、若い人達からその時間を奪っているように思う。セカンドライフの住人には、若い人にマウントを取る暇などない。ファーストライフで培った経験と知識、磨き抜いた智慧と工夫で、残りの時間で最大限に楽しむだけである。それこそ死が明確な姿で眼前に現れるまで。

今回は以上。

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