バルタサール・グラシアンという17世紀スペインの哲学者は、”凡人は味方から学ぶが、偉大な人は遥かに多くの事を敵から学ぶ”と言ったそうな。
つまり、賢者は自分の知識・スキル・態度についての不足、即ち欠点を敵の自分に対する行動から学ぶというのである。
最近、「上から目線」とか「〇〇にはそんな事いわれたくない」とか、他者の指摘を拒絶する台詞がテンプレ化して、多くの学びの経験を逃がしている人が増えた。
これは若者だけに限らない。仕事世代全体に見られる現象だ。
欠点を指摘されることは、たとえそれが優しく諭された場合でも、指摘された方は本当は不愉快だ。「教えてくれてありがとうございます」と素直に言える人は少ない。
欠点を指摘されてムカッとなるのはわかる。
わかるがそこで拒絶して思考を停止したらせっかくの自分を向上させるチャンスを無駄にすることになる。
とはいえ、全ての人から教えてもらう心構えが出来ているかと自問すれば、答えはNoだ。
『理屈コネ太郎』が医師になって最初の職場に、今考えてもどうしようもない上司が1人いた。
業務遂行能力は低い、部下は恫喝する、緊急事態にはちゃっかり逃げている。なにも良いことなしだ。
この人が組織から排除されなかったのは、まさに天才的処世術の賜物であった。
そしてこの人がそのポジションにいる事で、その少し後輩の優秀な人々が組織に嫌気をさして辞めていくので、彼のポジションが脅かされる事もない。
彼の天才的処世術を私は学びたいかと言えば、当時は彼を蛇蝎の如く嫌っていたので学びたくはなかった。
彼のような人物が組織にいては、組織全体の生産性や士気が大きく下がるだけだから。
この上司の様には絶対になるまいと、心に誓うほど酷い人だった。
しかし、私が自分の生き方や考え方を貫き通したいのなら、もしかしたら彼の天才的処世術が役に立つかもしれないと今なら思う。できれば真似したくないが、絶対に不要とも言い切れない。
と、そうこう考えているうちに歳月が過ぎ、彼と私は職場を変えて違う道に進む事になった、
以降、この人ほど酷い同僚にであった事はない。
ある集まりでその彼と久しぶりにあって歓談した際に、「まあ、お前も今になれば俺が教えた事の意味がわかるだろ」と言われて、なんとも不思議な感情に襲われたものだ。
バルタサール・グラシアンがいうように”敵からも学ぶ”という行為は、偉大な者だけが為し得る行為なのだとつくづく思う。
今の私にはまだ無理だが、それが出来る人間にいつかは成長しようと思っている。
今回は以上。
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