素直で、健気で、優しくて、才能もあり、柔道に努力を惜しまない可愛い奴だ。しかし、甘ったれで、すぐに他人に答えを教えてもらおうとして、ハングリーさがない。
車周作の心象風景の中で一条直也はこんな感じだったのだと思う。
本ページでは、わたし理屈コネ太郎がTV版柔道一直線全92話を数回通して鑑賞して(柔道一直線の紹介はココ、中学生時代はココ、高校生時代はココをクリック)、車周作の視点での柔道一直線というドラマを考えてみたい。
車周作は柔の道にひたむきに突き進んだ結果、地獄車という危険な技を編み出し、その技で丸井六段を落命させ、講道館から去った。
自給自足に近い隠遁者のような生活を営んでいた自分の弟子になりたいと、まっすぐな目で飛び込んできた一条直也を、車周作は最初は疎ましく、しかし次第にとても可愛く思っただろう。
車周作には、柔道の表舞台から去った自分に、これからその表舞台で活躍しようとする少年を指導する資格があるかどうか、僅かな躊躇いがあったはずだ。自身の柔道を、荒野の技、邪道と表現したりしているくらいだ。
その躊躇いを車周作に乗り越えさせて、柔道を教えようという気にさせたのは、直也の真っすぐな心だったろう。
稽古をつければどんどん吸収して成長する一条直也。
しかし直也は、優しくて、換言すれば世事に甘くて、有象無象のなかで自分を貫く気迫に欠けるところがある。
柔道を続けていく。ただその事すらも、本当は大変な事なのだ。実際、直也の父は既に他界し、母親が鮮魚店を営んで女手ひとつで育てている。
これからも、直也が歩く道には、多くの障害が出現するだろう。自分を曲げねばならぬしがらみも出てくるだろう。それでも、自分の道、柔の道を突き進むには、立ちはだかる困難に自分自身で立ち向かう気概と、実際に困難に打ち勝つ戦略戦術が必要だ。そして、時には敗北から立ち上がる闘志も。
なのに、直也は優しい母や可愛いガールフレンドや、理解ある友人たちの中でややもすると男としての戦闘力追求を見失いがちになるように見える。
直也が、そういう一生を送りたいのならばそれはそれでよい。
しかし、直也は亡父の背中を追いかける事とは別に、持って生まれた闘争心、強い者をみると感応してしまう感性を持っている。であるからこそ、車周作におしかけ弟子入りをしたのだ。
豊かな人間性と闘争心、一条直也という少年に内在する二つの優れた相反する資質を生かすには、この世の中は複雑に過ぎる。
直也が直也らしく幸せに生きるには、すなわち、彼の闘争心と豊な人間性とを両立して生きるには、彼自身の能力だけで困難に立ち向かい、打ち勝ち、敗北したらそこから立ち上がり、勝利しても奢らない、そういう男になる必要がある。そういう男になって欲しい。
車周作はそう考えたのではないだろうか。車の厳しさは、直也へのそういう愛情の発露だったのだと理屈コネ太郎には思える。
車周作は、20話で師匠と弟子としてではなく、柔の道を歩む同士として一条直也を認めようとした。自分と同じ、柔の道だけに集中する仲間として。
しかし、直也には柔道だけに集中できない、愛する母親や可愛いガールフレンドや色々な諸事情がある。
直也は孤独を背負って生きる人間ではないのだ。
直也には車周作と同じような全てを犠牲にしても柔道だけに邁進するような生き方はできない。
その直也が柔道の道をこれからも一直線に歩むには、まだ誰かの導きが必要なのだ。
車周作は直也に、柔の道には家族もない、友もない。あるのは戦う己ただ一人。と何度も言って聞かせた。
車周作は明和高校のコーチに招聘される際に、直也には教えるべき事は全て教えてある…と明示的につぶやいている。
あとは、直也が教えられた事を自分なりに咀嚼して自分の血肉とし、試行錯誤の実践を行うだけだと車周作は思っている。
それが、車周作が考える直也が歩む柔の道なのだ。
しかし、父の面影を車周作にもとめる直也には、どうしても車周作から離れる事ができない。
困難に出会うとすぐに車周作に教えを請いに行ってしまう。
車周作も、そういう直也を実は息子のように思っていたに違いない。だから、車も直也に頼られると何かのヒントや助けを授けたくなってしまうのだ。
風祭右京の優れた人間性が良く作用して、直也は右京と柔道を競い合う良きライバルを得た。
ふと気が付くと、世間から途絶した生活を送っていたはずの車周作を先生と呼ぶ可愛い弟子が2人も出来た。
才能ある弟子たちがメキメキと実力をつけ、関東トップの常連となり、日本中の強敵たちと争うようになった。
自分には縁がないと思っていた柔道の表舞台に、弟子たちが出て活躍してくれる。指導者としてこれほど嬉しい事があるだろうか。
2人が到達した高みを実感した車周作は自分の役割が終わったと考え、2人を称賛し別れを告げもする。
右京の方が年長だからだろうか、直也よりも自律的思考の持ち主で、自分で考えて他の師匠についたり、ハングリーに柔道に一直線である。
右京は自分の意志で、車周作から巣立っていってくれた。
一方直也は、何かにつけて車周作を頼ってくる甘えん坊のままだ。
しかし直也の前に、孤高の柔道高校生結城慎吾が現れる。
結城慎吾は、強い相手をみたら常に自分だったらどう戦うか、どう倒せるかを考えるような男だった。
誰かに簡単に解決策を訪ねたりする暢気なところは全くない。だから、すぐに答えを他人に聞いたり、真剣になり切れない直也を、結城は大嫌いだと何度か明言する。
結城信吾は相手を攻略する方法を自分だけの力で見つけ出し実践する凄い男である。
自分の柔道を磨くためなら誰とでも稽古し戦うが、自分を向上させる要素を持たない相手には全く関心を示さない。
段位やタイトルなどのためでなく、ただ自分の技を磨くために大会に出場する、そういう男であった。
その結城慎吾は高校三年生であるため柔道部を引退し自分の柔道を追求する道にはいったようだ。
結城信吾や黒井キャプテンなどの直也に理解を示す三年生達がいなくなり、これまで一年生の直也に抜かれていて嫉妬を感じていた二年生が直也に対して姑息な意地悪を始めだす。
高校生柔道日本一を決める大会に直也のライバルたち、風祭右京、大豪寺虎雄、赤月旭、城山大作が出場する。
特に城山大作は過去に風祭も大豪寺も赤月も同じ技で倒した超強豪である。ただ一人、結城慎吾だけが差し違えの引き分けを達成しただけだ。
みな、城山大作を倒すため、必死に稽古をする。直也も直也なりの工夫を凝らして対策をねるが車周作からみたら全然ダメダメである。
しかし直也は、ライバルであり一時は兄弟弟子でもあった風祭右京から城山対策の決定的ヒントを得て、城山大作を倒し、高校生柔道日本一となる。
直也は、甘ったれでお人よしで優しい男である。それゆえに直也がひたすらに柔の道を突き進むのは困難であるだろう。
だからこそ、車周作は直也に自分と同じ孤独を背負った生き方を示し続けた。
しかし直也は、車周作から見れば甘ったれに過ぎない精神性故に、ライバルであった風祭右京から大きなヒントを授かり城山大作に勝利した。直也はかつてのライバルを味方にする能力があるのだ。
即ち、甘ったれで心優しい一条直也の歩む道もまた一つの柔の道である、と車周作は納得した。
車周作と一条直也は、それぞれが歩く道がある。車には車の道が、直也には直也の道がある。
それぞれが柔の道なのだ。直也がその道を今後も一直線に歩んでくれる事を願って、車周作はそれまで棲んでいた場所を離れる。
それは恐らく、車周作もまた自分の柔の道を前進するために必要だと考えたからだろう。
車周作の歩く柔の道は、家族も友も弟子もない、孤独を背負って進む、戦う己1人の道だから。
車周作が歩む柔の道は一直線にこれからも続くのだろう。
…という風にほぼ還暦の理屈コネ太郎は車周作視点で柔道一直線を考えた。
小学生低学年の頃、柔道一直線をテレビでみて、柔道の道場に通わせてくれと両親に頼んでいた自分を思い出しながら、そしていま、その頃のテレビドラマを全話鑑賞できる幸せを噛みしめながら、いまこの文章を書いています。
柔道一直線。今みても、ほぼ還暦の理屈コネ太郎を魅了するドラマである。
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