意識も朦朧とし、ベッドで寝たきりとなり、排便・排尿も介助や看護に頼り切り。
こうした超高齢者を見ると、多くの人の胸中には「自分だったらこうまでして長生きはしたくない」の想いが湧くものだ。
そう、関係性の薄い他人と自分に対しては、人はここまでの長生きを希望しない。
しかし、自分の親となると話は別のようだ。
多くの人は家族の死を想像したくないし、受容できない。
他人だったら、あるいはもしも自分だったら、このような状態になって生きていたくない。そう考える状態になっても、親の死は受け入れられない。
それは、家族のエゴかもしれない。
ありは家族愛なのかも。
もっとも愛はそもそもエゴと親和性が高いので、家族が親の死を受容できない感情を愛と名付けてもそれほど間違いはないと思う。
日本もそろそろ家族愛と人間の尊厳のトレードオフについて、考え始めなくてはならない時代になったと思う。
しかし、このままなんとか30年持ちこたえたら、多死社会は終わるから、もしかしたら家族愛と尊厳のトレードオフを無視したまま、なんとかなってしまうかも知れない。
以上。
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