『理屈コネ太郎』が他府県に行って思うこと。

日本の土地の殆どは、人間の手が入っている。田圃をみて”自然”と表現する人があるが、田圃はかなり大がかりな土木工事で作られた人工の稲作システムである。確かに河川や日照などの自然を利用してはいるが、全くもって天然の自然とは別モノである。

人が田舎と呼ぶ地域は確かに人口密度が低く、主な産業は一次産業が殆どだ。たまにスーパーや飲食店や理髪店などの三次産業が点在している。

そういう場所で、田圃や畑や山林をみると、これは何十年、何世紀にもわたる期間に膨大な人の手がかかっているなあぁって感動してしまう。

実は手付かずの本当の自然は、私達が一般的に自然だと思っているものとは全然ちがう。

今私達が自然と呼ぶものは、戦国時代、江戸時代からの土木作業からの歴史を綿々と引きついだ結果として私達の目の前に出現している。

『理屈コネ太郎』の年齢になり、いわゆる田舎に行くと、そういう人間の知恵の形跡に目がいって、先達の知恵と情熱と労働に胸が熱くなって仕方ない。

たしかに若者の眼で地方をみたら、何も愉しい事はないかもしれない。そもそも人口密度は低いし、売られている商品は物量もバリエーションも都会には叶わない。

土地の文化も因習的で、土着的な横のつながりがモノを言う古い社会体質が残っているかも知れない。

でも今私達が当たり前だと思っている河や山や田圃や畑や用水路や溜池や海岸線は、ほぼほぼ全て先達の労力の成果だ。

そうやって、自分の生まれた土地の山や川や海岸線や田圃や畑や用水路をみてみると、ご先祖様たちに敬愛の念も抱けるかもしれません。

『理屈コネ太郎』は東京の下町生まれの下町育ち。近隣の家に内風呂がある家庭なんか殆どなかった。門も庭も無かった。

今思えばあれば一種の闇米で、ファイナンス的には裁定取引だったのだろうが、行商のオバちゃんが大きな荷物を持って田舎で採れたであろう野菜や米を私の他界まで売りに来ていた。

都会は人が多くて土地不足だから、食糧が圧倒的に足りない。田舎は土地があるから食糧生産をする。

互いが足りないモノ同市を交換してビジネスを行っていた。

だから、私は田舎を見下す人をみると知識の足りないかわいそうな人だなあと思う。

東京に流入してくる地方の人は地元より有利な何かを求めてやってくる。『理屈コネ太郎』のように数代前から東京に住んでいる東京という地方に居住する”田舎者”は、地方から出てきて我が物顔で東京をのしてあるく地方出身者をあまりお気に召さない傾向がある。

みんなもっと、自分の生まれ育った地域の郷土史や成り立ちを学ぼう。そうすると、東京の方がなんか凄いって錯覚から解放されるかも知れないよ。

今回は以上。

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