【親御さん向け】医学部受験の2つのリスク

本頁では初老現役医師『理屈コネ太郎』独自の視点から、ご子弟の医学部受験の2つのリスクについて解説したい。

2つのリスクとは…

①医師という職業がご子弟に幸福や満足感をもたらさいリスク。
②医師であるが故に経済的に不安定となるリスク。

長文だが、最後までお読みいただければ、それなりにご納得いただけると思う。またリスクについての解説なので、医師という職業のメリットや歓びには殆ど言及しない点はご承知おきを。

さて、ご子弟に現実的な選択として医学部受験を推奨したい親御さんも多いと思う。医師は収入が安定していて生活設計が立てやすいとお考えだからだろう。

しかし本当にそうだろうか。人口減少、医師受給、公的健康保険の制度改正、人工知能の発達など、医師という職業の将来性に疑義が呈されている。

本頁ではこれらの疑義とは異なる視点からご子弟の医学部受験の2つのリスクについて説明したい。

また本頁では一般の多くの人が抱く医師のイメージに最もちかいであろう実際に患者を診療する医師、すなわち臨床医を念頭におて説明する。

では、1つめのリスクから説明しよう。かなり長くなるが辛抱して戴きたい。

医師になるためには、医学部に入学し、卒業し、医師国家試験に合格し、2年間の初期臨床研修を受けなくてはならない。初期臨床研修を受けなくても医師免許保持者としての立場は変わらないが、初期臨床研修を修了しなくては、単独で医師として診療活動する事は(たぶん法的に)出来ない。

よって、最短でも計8年の時間と集中力を医学の勉強に注ぐことになる。

医学部の6年間間は進級試験や卒業試験、国家試験の準備に全てを捧げなくて卒業できない。それほど厳しい。

医学部に入学しても進級できない、進級しても卒業できない、卒業しても医師国家試験に合格しない。そういう人は少数派だが毎年ごとに確実に居る。

しかし心配はない。医学部や医大の教育プログラムは、普通の能力に学生に向けた内容である。必要なのは、勉強に対する弛まぬ真摯な姿勢と知的スタミナだけなのだ。それなりに努力すれば医学部は卒業できるし、医師国家試験は合格できる。

問題は、弛まぬ真摯な姿勢と知的スタミナが6年間継続するか、そのための代償として失った”医学部以外でなら送る事ができたであろう生活”に未練がないかどうか。

そして、医師国家試験に合格したあと、普通は初期臨床研修に参加することとなる。

ごく稀に、医師免許取得したけれど医師以外の道を歩む人もいる。医学部時代に嫌々勉強をしていて、もうこれ以上は耐えられないと思ったのだろう。これも一つの道である。

初期臨床研修に話しをもどろう。

現在の初期臨床研修は昭和のそれとは違い、時間的には余裕があるらしいが、学びの密度が低下しているので、ここで油断するとその後のスキル習得や進路の選択を誤ってしまうことに繋がり、ここも気を抜いてはいけない期間である。

初期臨床研修がかつてよりは時間に余裕があり学びの密度が低下していると書いたが、しかしそれでも、若手医師の過労死はなくならない。

そして初期臨床研修を終えて独立して医療行為を行えるようになった医師を待ち受けるのは、複雑なバックグランドを抱えて入れ替わり立ち代わり診察室を訪れる一面識もない患者という立場の有象無象である。

患者を診療する行為は医師にのみ許された業であり、医師のコアコンピータンシーであるが、同時に多くの医師にとって最大の苦悩の源泉でもある。

医学を患者に教科書に書いてある如くに適応する事は極めて困難である事が殆どだ。その理由は1人の人間が抱える社会的役割や思考のユニークさと複雑さである。

病院を訪れる患者は病気で苦しんでいる人ばかりではない。医療機関や保険医療制度を悪用しするための詐病や仮病をつかう人達が、多くはないが確実に一定数は存在している。(著者注:世の中にはそうした患者の求めに応じて報酬次第で患者が希望する内容の診断書を作成する医師も存在する。これは犯罪行為。)

むしろ、本当に病気で受診している患者は少数派かもしれない。普通、人々は仕事があるのでなかなか受診できないのである。

本当に病気で受診するのは、自覚症状なないけれど健康診断で異常を指摘されたので、会社の指示で仕方なしに受診している…というような経緯の人か、胃潰瘍や狭心症などの強烈な自覚症状で仕事が手につかないので受診するしかないと観念した‥という経緯の人。

人々が患者という言葉から想像するのは、後者の経緯の人達。つまり患者は身体的苦痛を抱えた人達。くりかえすが、こういうホンモノの患者は医療機関を受診する患者の中では少数派である。

殆どの患者は、自身の心身の疾病による苦痛が受診動機ではなく、自分のなんらか目論みや周囲からの同調圧力という、極めて社会的な事情で受診している。

医師は医師を辞めるまで、朝も昼も夜も、来る日も来る日も、何かを訴え、何かを求めてくる患者と、その複雑多様なバックグランドと向き合わなければならない。

検査をするにも治療をするにも、現在はインフォームドコンセントが当たり前の世の中だから、必要性が生じるごとに説明し同意を得なければならない。

説明し同意を得るのは患者本人からだけではない、家族などのキーパーソンの同席と同意が必要となるケースも多い。治療や検査がある程度の危険を伴うものだったり、本人の理解力が明らかに低下している場合などがあてはまる。

患者とその周囲には様々な人がいる。ご子弟に医学部進学を現実的な選択肢として勧めたい親御さんの想像をはるかに超える奇人変人もいるし、元犯罪者、逮捕されてないだけの現役犯罪者や、教育歴の極端に短い人、日本語を全く解しない外国人、社会保障や福祉制度を本来の趣旨とは違う利用の仕方をする人々もいる。

患者とは実に一筋縄では行かない人々。それが本当のトコロ。

例えば…

昼間の医療機関は患者が大勢いて時間がかかるから、夜間に救急車で受診すればすぐに診察を受けられると考えて、本当に救急車で22時くらいに受診する人。

何かに利用する目的で実態とは異なる内容の診断書作成を依頼する人もいる。(余談だが、そういう患者側のリクエストに診断書作成料としては法外に高額な対価と引き換えに従う医者も極少数だけど実在している。本人達が認識しているかどうかは知らないが、こうした行為は違法である)

あるいは、なんとも対応に難渋してしまう患者。

具体例をあげよう。

70歳の息子が3日ぶりに様子を見にいったら96歳の母親が動けなくなっているので救急車を呼び、現場に到着した救急隊員から病院に診療要請が夜中に来る事もある。事情を聞こうとしても70歳の息子は難聴で会話が成立しないなんてケースは普通にある。勿論、96歳の患者本人は発話も出来ない状況。

それから、特に横柄で攻撃的な患者の率は一般の人が思うよりはるかに高いと『理屈コネ太郎』は思っている。こういう攻撃的な人に傷つけられた経験を持つ医師は多い。

親御さんには是非こうした患者にご子弟が遭遇している場面を想像して欲しい。

医師を訴える人もそれなりに存在しているし、医師を敵視して機会あれば貶めてやろうと画策している人が患者のフリして診察室に入ってくることもある。

モンスターペイシャントの存在も最近ようやく世間に知られるようになってきた。「病院はサービス業だ」、「医者は診察を拒否しちゃいけないんだろ?」と会話の冒頭で言い放つ患者もいる。(医療がサービス業である事についての詳細は当サイト内の”ココ”にまとめてあります。ご興味あればクリックして読んでみて下さい)

逆恨みした患者が医師を刺した…という事件は今では珍しくない。

患者の主張の理不尽さを諭したら、不遜な医師として実名がネットで公開されたりもする。

このような生活が、医学部6年間、初期臨床研修2年間、計8年間、その時期の人生のほぼ全てを捧げた代償として得られる生活である。

どうだろう、医師という職業は、ご子弟に幸福や満足感を運ぶ職業だろうか。ご子弟が持つ可能性を最大限に開花させるに相応しい場だろうか。

相応しくないかもしれないし、そもそもご子弟はこうした生活は望まないかも知れない。

ご子弟は、他の領域でより開花できる可能性をお持ちかもしれないし、学生、研修医、医師を生きる過程で本人もそう思うかも知れない。

故に、医師を職業とする事はご子弟に心理的な幸福をもたらさない蓋然性があるのである。これが、①のリスクである。

②のリスクは、医師という職業は必ずしも経済的に裕福ではないし、安定もしていないと言う事。

本題に入る前に、『理屈コネ太郎』が書いた当サイト内の下記の4つ記事を読んで戴きたい。

今の医者は大して金持ちではない』はココをクリック
医師の給与・求人事情』はココをクリック
医師の所得は中の上、せいぜい上の下』はココをクリック
医者は金持ち…は嘘は半分だけ本当』はココをクリック

これら4つの記事を前提に、ザックリとまとめると、医師の所得が安定しているのは、保険診療を中長期的に継続している場合である。

保険診療で活躍するためには、医師本人のスキル習得&向上に加えて、働ける医療機関やポストとのマッチングというか相性が医師の年齢が上がるごとに重要なになってくる。

ご自身が医師ではない親御さんに向けて簡単に解説すると、医師は自分が決めた診療科目以外の医療行為を、職場(そこがまともな医療機関であれば)からの指示で行う事はない。配置転換もないし、転勤もない。(研修医時代にローテーションと呼ばれる各科を短期毎に経験するシステムはある)

かつて大学病院内の医局とよばれる組織の人事力が強大だった頃は、ペーペーの医者や研修医は教授の指示に従って行きたくない病院に出向して、やりたくない診療に従事しなくてはならない時代もあったが、現在はもはやそういう時代ではない。(ただし、将来は医師の偏在を解消する目的で何年間かの僻地や地方の赴任が義務化されるかも知れません)

名作、山崎豊子著”白い巨塔”が書かれた頃は、医学部教授には金と権力が集中していたらしいが、現代の医学部教授は金も権力もあまりない。もはや野心的な医師は目指さないポジションだと思う。

それだからか、ときどきこの小説は現代に時代を合わせたリメイクが放送されるが、どうもチグハグ感が否めず、視聴者を引き込む作品になっていないように思う。

時代設定を無理に現代に合わせず、白い巨塔が書かれた当時の時代劇としてリメイクすれば、すごい迫力あるドラマになると思うのだけれど。

マッチングの話に戻そう。

医師にとって仕事のしやすさは職場とのマッチングと相性がほぼ全てである。現在の職場でハッピーでない医師は常に新しい職場をネットで探しているし、医師数の足りていない医療機関はつねに医師求人を色々な媒体に出している。

こうした現代の医師・医療機関マッチングの世界では、マッチングから漏れてしまう医師が当然でてくる。病院が求める技量を医師が持っていないか、あるいは医師が求める待遇を病院が用意できないか。

いずれにせよ、マッチングが不成立の場合、医師はその間は無職で所得がない場合もあり得る。医療機関側も医師を採用できない。どちらも困った状態で膠着するほど、マッチングと相性は大切なのだ。

医療過疎地域では高額報酬を用意して医師を招聘しようと求人を出したりしても、応募がゼロのケースもある。

こうしたマッチング不成立が解消されない理由は『理屈コネ太郎』的な持論があるが、かなり難解なハナシになってしまうので本頁では触れない。

とにかく、高額報酬で医師を招聘しようとしても応募がない病院がある一方、やりたくない事はやらないと考える医師が存在する事実にここでは注目して戴きたい。

もしご子弟が医師免許取得して初期研修を修了しても、やりたくない事はやらない…という現代人気質剥き出しみたいな医師に育ってしまうと、職場をみつけられずに、短期のスポット的な働き方しかできず、所得が高くもないし安定もしていないという一般の人が医師に持つイメージからかけ離れた医師になるかもしれない。

こういう医師は最近若い医師の層で確実に増えている。

では、医師ではなく、他の職業に活路を見いだせるかというと、そういう人は極端に少ない。①のリスクで説明したように、人生のある時期の全てを捧げて医師になり獲得したスキルを簡単に放棄できる人はそんなに多くないし、最も視野を拡張する大切な時期を医師になるための勉強に使ってしまったから他の職業の事は何も知らない。

つまり医者になってしまったら、医者以外の生き方は出来ない。

マッチング不成立や相性の問題で働く医療機関に出逢えず、また医師であるがゆえに医師以外の生き方が出来ない。ご子弟がそういう医師になってしまうリスク。

これが、医学部受験の2つめのリスクである。

以上、初老の現役医師『理屈コネ太郎』が考える医学部受験の2つのリスクでした。

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