『AJLT…』シーズン2を観て、『理屈コネ太郎』は「あ、やっぱり!」と納得した。
日本では『SATC』の主人公キャリーを「恋愛至上主義者」と表現する記事が散見される。しかし、『SATC』シリーズや映画、そして『AJLT…』シーズン1までをすべて観た『理屈コネ太郎』には、彼女が恋愛至上主義者とはどうしても思えない。
この「恋愛至上主義」という言葉が嫌で、『SATC』を敬遠する男性も少なくないように感じる。そこで、「恋愛至上主義」と「ロマンティックラブイデオロギー」について、それぞれの定義と違いをChatGPTに尋ねてみた。
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恋愛至上主義とは?
恋愛至上主義(ロマンティシズム)とは、恋愛や愛情が他の価値観よりも優れていると考える立場を指す。恋愛が人生の意味や満足感の源であるという信念に基づいているが、個人差があり、解釈は文脈によって異なる。
ロマンティックラブイデオロギーとは?
ロマンティック・ラブ・イデオロギー(Romantic Love Ideology)は、恋愛に対する特定の信念や価値観の枠組みを指す。主に以下のような信念を含む。
- 愛は唯一無二で永遠であるべき
- 理想のパートナーが自己成長や幸福に不可欠
- 恋愛は常に情熱的で刺激的であるべき
このイデオロギーは文化によって異なる影響を受けるが、多くの人に共感される一方で、異なる恋愛観を持つ人もいる。
キャリーは恋愛至上主義者ではない
キャリーは恋愛を友情よりも上位に置いてはいない。恋人のために友人を裏切ることもなく、この点で彼女が恋愛至上主義者でないことは明らかである。
しかし、彼女は常に「The One」として運命の人を探し求め、最終的にビッグと結婚し、15年を共に過ごす。そして『AJLT…』シーズン2では、ビッグが真の運命の人ではなかったかもしれないという疑念に苦悩する。
この苦悩の根底には、ロマンティックラブイデオロギーがある。愛は唯一無二で永遠でなければならないという考え方に縛られているため、キャリーは自分の感情に混乱するのだ。
エイダンとの再会が示すもの
『AJLT…』シーズン2では、エイダンがキャリーの前に再び現れる。彼女は一生のうちに心から愛せる相手が二人いることを幸福とは考えず、むしろ苦しむ。これは、彼女がロマンティックラブイデオロギーに囚われている証拠だ。
もし彼女が恋愛至上主義者であれば、ビッグの死後にエイダンと再会できたことをラッキーと考えるだろう。しかし、キャリーはそう思えない。彼女にとって、恋愛はただの最上位の価値ではなく、人生を形作る「唯一無二の運命」でなければならないからだ。
ChatGPTの見解
最後に、「キャリーは恋愛至上主義者か?」と「キャリーはロマンティックラブイデオロギーを持っているか?」をChatGPTに尋ねてみた。
Q:「キャリー・ブラッドショーは恋愛至上主義者か?」
彼女は恋愛に強い関心を持ち、ロマンスについて語るキャラクターではあるが、それが恋愛至上主義かどうかは個々の解釈による。
Q:「キャリーはロマンティックラブイデオロギーを持っているか?」
キャリーは恋愛に関する強い信念を持ちつつも、友情や仕事にも目を向ける多面的なキャラクターであり、単純なロマンティックな視点だけでなく、現実的な側面も持ち合わせている。
この回答は、『理屈コネ太郎』の考えと非常に近いものだった。キャリーは恋愛至上主義者ではないが、ロマンティックラブイデオロギーに深く影響を受けているキャラクターだと言える。