素朴だが本質的な医療

以下、いつものように私『理屈コネ太郎』の曖昧な記憶といい加減な推察によって記載するので、誤りがあってもスルーしてほしい。

あの東日本大震災の折、多くの人が集まった避難所で、何人かの循環器の医師達が避難者から手持ちの薬を拠出してもらい、その中から今必要な人に今必要な薬を分配したという取材を観た事がある。

とても立派な医師達だ。尊敬する。臨床医魂の神髄を見た気がする。

彼らの医学的知識は勿論だが、避難所という、ある意味で極限的な環境でそれを実行した心意気っていうか、実行力というか、そういうものにただただ頭を垂れるのみだ。

循環器の内服薬は高齢者がのむ事が多い。高齢者は難聴や認知症の人も少なくない。かかりつけ医師にお任せ型の人なら、そもそも自分がどんな病気なのかも理解していない人が殆どだ。

そしてそれは、高齢者の周辺の人々も同じだ。大抵は家族だが、同居していなかったりする。たった1人の同居家族が高齢の配偶者だったりもする。

子や孫もまた自分達のおじいちゃんやおばあちゃんがどういう病気で、どんなお薬を内服しているのか理解していない。

それに、避難所では彼らだって疲労困憊しているのだ。自分達の安全確保だって困難だったのに、避難所までおじいちゃんおばあちゃんを連れてきたのだ。

昭和のベテラン循環器内科医は、問診と視診、それから聴診器だけでそれなりの循環器診療を完遂できる事は知っている。

患者から必要な情報を上手に聞き出し、頸静脈の怒張の有無、下腿の浮腫の有無、脈拍の欠失や聴診器で聴取される心雑音や心音の分裂などで、かなり有意な診断を下せるらしいし、そうした診察を実際にベテラン循環器内科の医師がしているのを見た事もある。

だが問診というのは、難聴や認知症を持つ高齢者に対してはかなり不可能に近い行為なのだ。ましてや避難所の混乱状態で、である。

避難所に聴診器があったのかもわからない。もし非難する際に聴診器をもってきた医師がいたのなら、その医師の普段の心の在り方に感服するしかない。

血圧計がなくても血圧を大体推測する事は出来るが、しかし血圧計があるとないとでは大違いだ。

高血圧の治療薬として、利尿薬が処方される事がある。比較的安全に使用できる利尿薬が殆どだが、この薬を使うときには条件があって、それは患者がいつでも好きなときに飲水等で水分補給出来る事と、排尿が自由にできる事。

避難所でこの薬を使うことは、場合によっては躊躇われる事かもしれない。飲料水は限定的かもしれないし、トイレは混雑しがちかもしれない。それに高齢者だからそもそも立って歩行できないかも知れない。

また高齢者は抗血栓薬、血液をサラサラにする薬、を内服している事が多い。

抗血栓薬(Wikipedia該当頁を開く)は多様な病態で処方されるので、内服中止する事が脳梗塞や心筋梗塞のリスクを大幅に上昇させてしまう場合がある。

心臓や脳の梗塞を既に起こした人が、水分補給がままならない状況下でこの薬を中止したら、梗塞再発リスクはグーンと上昇してしまうだろう。

だから、脳梗塞や心筋梗塞を患った事があるかないかが、避難所のような限界的状況では、抗血栓薬を継続しなくてはならないかどうかの判断基準のひとつになると思う。

だが、脳梗塞や心筋梗塞は患った事はないけれど、今後のリスクを予防する目的で抗血栓薬を処方されていた人から抗血栓薬を分けてもらったあと、その人が脳や心臓に梗塞を発症したら…と想像すると、簡単に拠出してもらうには重要過ぎる薬だ。

そんなこんなを考えると、避難所の医師達の行為の素晴らしさがしみじみわかる。

循環器を日常的に診療している医師であれば、難度の低い診療なのかも知れないが、相当に習熟していないとなかなか出来る事ではないと『理屈コネ太郎』は推察している。(当サイト内の『高スキルな医者とはどういう医者か』の頁を開く)

だけど、明日をも知れぬ避難所という場所で、医師達を信頼して手持ちのお薬を供出してくれた人々の気持ちが嬉しいではないか。

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