世界史的に見た日本のユニークさ 

どの国もどの民族もそれぞれに固有の歴史を背景に独自性を持っている。日本も同じである。日本の場合、地震や火山などの厳しい地理環境とそれに対応した精神文化、そして古代から連綿と続く祭祀王としての天皇の存在なのではないだろうか。これらの特徴を世界史的な視点から考察することで、日本の独自性がどのように形成されてきたのか理屈コネ太郎的に考えてみたい。

本ページに記述する内容は全て理屈コネ太郎の管見内の独断と偏見による知ったかぶりである旨をご銘記のうえ読み進めて頂きたい。

多発する自然災害と無常の哲学
日本列島は地震や台風や火山、火山活動など自然災害が多発する地域に位置している。この厳しい地理的環境は、日本人の精神性や価値観に深く影響を与えた。災害によって人々の生活や営みが容易に破壊される現実の中で、日本人は物事の移ろいやすさ、平家物語の冒頭で詠まれた「諸行無常」を哲学として受け入れるようになった。

漢字文化圏である中国や韓国では殆ど見られない儚と言う文字に「儚い(はかない)」という概念を持たせた事に見られるように、日本人はすぐに消えてしまうものにも美しさを見出す感性を育てた。「儚」という文字は「人の夢」と書き、人生や事象のはかない性質を象徴している。

この無常観は、日本の美意識にも深く根付いており、例えば「詫び」や「寂び」といった価値観に結晶している。古びた茶器や静かな庭に深い趣を見出す感性は、自然の摂理に寄り添い、それを受け入れる日本独自の文化を象徴している。

万世一系の祭祀王としての天皇
こうした無常観と対照的に日本において長らく変化しなかった事がある。男系男子の血統によって継続する祭祀王天皇の存在である。日本の天皇の特徴は、紀元前7世紀頃に初代神武天皇が即位したという伝承から始まり、実際の歴史記録が確かなものになる5世紀以降も、一つの血統による天皇制が続いている点にある。現存する王朝としては世界最古であり、その系譜が断絶せず維持されてきたことは、世界史的に見ても極めて希少な事例であることは間違いなく、おそらく唯一の例だろう。

なぜ日本ではこれほど長く男系男子の継承が守られてきたのか。その背景には、継承権を巡る無用な争いを避けるための知恵と、天皇が果たす役割に関する特異な考え方があった。日本の天皇は、権力を振るう支配者ではなく、民の幸福と国土の安寧を祈る「祭祀王」としての役割を担ってきた。因みに祭祀をつかさどる人は、ローマ教皇もダライラマも男性である。「民の竈(かまど)」の逸話が象徴するように、天皇は民を支配する存在ではなく、国民全体の「家長」として民を守り慈しむ存在とされてきた。

このような天皇観は、災害が多く全てが無常であるとする日本人の価値観とも深く結びついている。移ろいゆく環境の中で、民の安寧を祈る天皇という変わらない存在は、民にとって精神的な支柱となってきた。天皇が祈っているから私たちは大丈夫。古代の日本人はそう思っていたのかもしれない。さらに、男系男子による継承がその血統の一貫性と神聖性を守る役割を果たしてきたのである。

君臨せず祈る存在としての天皇
日本の天皇制が世界史的に見て特異である理由の一つは、天皇が「君臨もしないし統治もしない」という不思議な統治観を基盤としている点だ。日本以外の多くの国では、王や皇帝は政治的権力を握り、統治者として国民を支配する存在だった。しかし、天皇は日本史上殆どの時期において政治的実権を持たない象徴的な存在として位置づけられてきた。

この「象徴」としての役割は、平安時代以降、実務的な権力が貴族や武家政権に移ることでさらに明確化された。権威と実権の分離によって、天皇は政治的争いの舞台から遠ざけられ、その結果として、天皇の系譜は長い歴史を通じて安定を保つことができたのである。

現代においても、天皇は日本国憲法のもとで「日本国および日本国民統合の象徴(この表現が最適かどうかは別のハナシ)」としての役割を果たしている。その本質は古代と変わらず、民の幸福を祈り、社会の安定を象徴する存在である。このような天皇の系譜の持続は、日本が伝統を大切にしつつも、それを時代に応じて柔軟に適応させてきた結果である。

世界史的意義
日本の独自性を考えるとき、地理的条件から生じた無常観、そこから派生した美意識、そして祭祀王としての天皇制の存在は切り離せない。これらは、それぞれが独立しているわけではなく、相互に影響し合いながら、日本文化の核心を形作ってきた。

特に、天皇の継続性は世界史的にも注目に値する。他国の王朝が内乱や侵略によって断絶を繰り返す中で、日本の天皇は男系男子による継承を守り抜き、連綿と続いてきた。その背景には、無常観が支配する中で変わらない象徴を求める日本人の精神性があったと理屈コネ太郎は勝手に考えている。

災害の多い厳しい自然環境の中で、移ろいゆくものを受け入れる一方で、変わらない価値や象徴を大切にする。このバランスが、日本の文化や統治制度の独自性を支えてきた。そしてその象徴としての天皇は、今後も日本の文化と精神を語る上で欠かせない存在であり続けるだろう。

諸外国から見た天皇
地球儀規模で日本の天皇を観るとどうだろう、王朝や王政文化の香りを残す欧州の国々には、日本の天皇の長い歴史に素直に敬意を抱く国々も多い。米国は世界史的には若い国であるがその短い歴史に限りない誇りを持つ国民性なので、既存の伝統には当然のように敬意を抱く。

しかし一方、過酷な王政や帝政を革命で倒したフランスやロシア、大東亜戦争後に建国した国々の中には、日本の天皇に対してネガティブな感情を抱く国家指導者もいる。このネガティブな感情には、理屈コネ太郎の推測では、天皇の長い歴史を羨ましいと感じる嫉妬の気持ちと、目の上のタンコブ的な目障り感と、革新リベラル達の敵意とが絶妙にブレンドされた感情に思われてならない。

注意点
天皇は祭祀王であると述べた。この事は必ずしも天皇が素晴らしい人間性の持ち主である必要性を求めない。現代の考え方に照らせば、天皇といえど生物学的にみれば1人の人間男性であり、他の誰とも同様に色々な短所があるだろうし、これまでの歴代天皇(女性天皇も含めて)にも多くの問題があった事はたぶん間違いない。代々天皇の全員が皆優秀で問題のない人物であると考える方が不合理である。

とはいえ、既述したように天皇は世界史的にみておそらく最古の王朝の当主であり祭祀王である。この事実を見つめるとき、史実として少なく見積もって千年以上続く皇統を一度壊したら、二度ともとには戻らない事に気づく。

畏れ多い事である。この事だけは、心の中に銘記してこれからの天皇の在り方を注視しようとおもう。

結びに
全ての国や民族には独自の歴史がように、日本には日本にしかない歴史がある。日本が世界で最も素晴らしい国であるというつもりはない。ただ現代の日本は、これまでの全ての歴史の結果としての日本なのである。この日本の未来は、日本のこれまでと無縁ではいられない。日本のこれまでで特に重要なのは、厳しい自然の中で育まれた無常観と、万世一系の天皇とそれを守り続けた日本人の存在である。武力による君臨をせず、民の幸福を祈る祭祀王としての天皇は、移ろいやすい世界の中で変わらぬ象徴として、多くの日本人は無自覚だが、その心に奥深く根付いている。

災害が多く、全てが儚く移ろうこの国にあって、無常を哲学とし、儚さを愛し、詫びや寂びに美を見出す日本人の精神性は独自である。そして万物が移ろい変化する時代を不変に貫く万世一系の天皇がいる事が、日本を世界史的に特徴付けていると理屈コネ太郎は考えている。

今回は以上。

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