医療機関はガチのサービス業である(医師版)

まだ『理屈コネ太郎』が医学生だったころ、内科の教授に「君、医療はサービス業だと思うかね?」と質問されて「サービスだと思います」と回答したら、凄く嫌な顔をされた事が懐かしい。

たぶんこの教授、serviceを辞書で調べてなかったのだと思う。どんなに偉い人でも、個人の知には限界があるってことだなあ。

さて、医療機関がサービス業である理由を『理屈コネ太郎』的に解説したい。

いつものように、本ページの内容は『理屈コネ太郎』の管見内での私見なのでその旨をご銘記のうえ読み進めて戴きたい。

Wikipediaのサービスのページによれば、『サービス(service)とは、経済用語において、売買した後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財(←Wikipediaを開く)のことである。第三次産業(←Wikipediaを開く)が取り扱う商品である』とある。

この事からも、医療機関がサービス業である(ことは明明白白なのであるが、『理屈コネ太郎』は、定義を述べて満足するほど素直な性格ではない。

医療機関がなにゆえサービス業なのかについて理屈をコネてみたい。

サービスとは、人を喜ばせたり、気分よくさせたりする事とは違う。

医療がサービス業である事を否定する医療従事者はこの点を理解していない。曰く、医療は患者を喜ばせたり気持ちよくさせたりするのが仕事ではないという。

また、医療がサービス業である事を根拠に接遇向上を云々する人もこの点を誤解している。曰く、医療はサービス業なのだから客である患者を待たせたりするな。医者は偉そうにするな、と。

両者ともサービスの概念を根本的に誤解している。詳細は当Site内『サービス、その本来の意味』を参照されたい。

サービスとは、効用や満足を他者に提供すること。『理屈コネ太郎』的に換言すれば、価値創造を目的とした人間の行動や機械の機能である。

夜のネオン街で殿方を接客する女性たちは、お客として来店する殿方に愉快に時間を過ごさせる仕事だ。各種アルコール飲料や、美しい衣装や髪形も、お客に『楽しい時間』という素晴らしい価値を提供するるためのツールだ。

お客は『愉快な時間』という満足や効用、価値を提供してもらった対価として代金を支払う。

これを本頁では『愉快な時間』サービスと呼ぶ事にする。

法律事務所について考えてみよう。法律事務所では弁護士はじめ法律家は、お客(弁護士業界では慣習的に依頼人と呼ぶらしい)が自分では解決できない法律がらみの問題に一定程度の筋道を、時にアドバイザーとして、時に代理人としてつけてくれる。

これを法務サービスと呼ぶ。

弁護士らによる法務サービスに対して依頼人は対価を支払う。

医療機関では、医師や看護師や検査技師が、それぞれの職責と分担によってお客(医療業界では客は習慣的に患者と呼ばれている)の健康問題に改善をもたらすための行動をとる。

これを医療サービスと呼ぶ

医療機関による医療サービス対して患者は対価を支払うのだ。

整理すると以下のようになる。
①夜のネオン街では『楽しい時間』サービスにお客はお金を払う。
②法律事務所では『法務サービス』に対してお客はお金を払う。
③医療機関では『医療サービス』に対してお客はお金を払う。

夜のネオン街でも、法律事務所でも、医療機関でも、客は提供されたサービスに対してお金を払う。同じ構図なのだ。

ただ、誤解してはならないのはは、夜のネオン街では法務サービスは提供しないし、法律事務所では医療サービスは提供しないし、医療機関では愉快な時間サービスを提供しないことだ。

サービス業としては同じでも、提供するサービス内容は異なる。稼業違いなのだ。

昔の人は、職に貴賤はないといった。蓋し名言である。

人が価値創造目的に行動する。それがサービスなのだ。勿論、戦略・戦術上の巧い下手はあるかもしれないが、そこに貴賎はない。

いかなる産業も、農業も工業も含めて、価値創造を目的とした人間の行動が不可欠だ(当サイト内当該頁を開く)。人が他の誰かの満足や効用のために、すなわち価値創造のための行動が不可欠だ。

価値創造目的の人間の行動こそがサービスなのだ。

だからサービスは普通、有料なのだ。

今回は以上。

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