医者のプライドが高くみえる理由①

胆嚢と胆管 MRCP
正常な胆嚢と胆管

結論的な事を最初に書けば、患者視点で医者のプライドが高く見える理由は、医者が患者側の要望を殆ど聞き入れないことに由来すると『理屈コネ太郎』は考えている。

医者が患者の要望を聞き入れない理由は、医者の意思決定や行動は、一般の人には殆ど知られていない多数の規範によって規律されているからである。

受診者は客的立場である自分の要望を、サービス提供者である医師が聞き入れない理由を全く理解できない。

普通のサービス市場ではそういう事はあまり起きない。

サービス市場では、客の要望を満たす事が業者に求められるが、医者は患者の要望を聞き入れないので、医者はプライドが高い故に頑固なのだと客的立場の患者は判断しがちだ。

すこし前に、『医者のプライドってそんなに高くない』って記事を書いた。

今回は、実際にはそれほど高くない医者のプライドが高そうに見える理由と思われる、医者が患者の要望を聞き入れない事について説明してみたい。

具体的に書けば際限なく細かいハナシになるし、ザックリ書きすぎても読者には何のこっちゃ?って事になりかねず、具体性の塩梅が難しい。

そこらへんの匙加減は困難だが、取りあえず出来る限りやってみようと思う。

それから、以下の論述はいわゆる保険診療を想定して記載している。完全自費の医療、例えば美容系の医療は考慮していないので、その点は留意してほしい。

上述した通り、医者の意思決定や行動や多数の規範に沿っている。

ざっと挙げるだけでも以下の5つが考えられる。

①医学合理性 ②法律などの社会規範 ③患者の希望や意思に沿う ④健康保険のルール ⑤経済合理性

銘記して戴きたいのは、医者は検査や治療を行う上で、これら5つの全てを同時に満たす事が求められているという事。

どれひとつを欠いてもいけない。

だから医学合理性を満たしても、医者は患者が望まない治療は実施できないし、患者が望んでも医学合理性のない治療は実施できない。

このような医学合理性と患者側希望との衝突の具体例として、是非Wikipedia 東大エホバの証人裁判(クリックしてね)を参照して欲しい。

この裁判は、医学合理的であっても患者の希望に沿わない治療をしてはいけない…という、当時としてはコペルニクス的転換的な、今日としては至極当たり前な判決が出た。

誤解しないで戴きたいが、患者の希望が医学合理性に優先するという事ではない。患者の希望に沿い、かつ医学合理的である必要が明示された裁判だった。

それから、健康保険のルールも一般の人々には理解されていない。

殆ど例外なく、受診する人は健康保険証を持参するが、その健康保険がどの様な仕組みでファイナンスされ、どのような規則にもとづいて実際の給付が為されているかを知る人は殆どいない。

上記5つの規範のうち、②社会規範と、⑤経済合理性は普通の人達でも直観的に解釈可能なためか、医療に浴びせられる批判はこの2点に関連するものが多い。

曰く、医療の在るべき姿としては如何なものか…。曰く、あそこの病院は儲け主義だから検査ばかり…、とか。

確かに、医療のあるべき姿に背いて儲け主義にはしる医師や医療機関は実際に存在するのが悩ましいところだ。『理屈コネ太郎』も実際にそういう医師を見た事があるし、そういう医療機関で短期間だが働いた事がある。(興味ある方は”ココ”とか”ココ”をクリック)

受診者やその家族が、医師や医療機関の倫理や経営方針を疑うのはよくわかる。しかし本ページでは、まともな医師と医療機関のみをスコープに入れていることもご銘記いただきたい。

さて、ハナシが具体的で詳細になると却って本質が見えなくなるので、ここからは、『理屈コネ太郎』の管見による私見で恐縮だが、医師のプライドが高そうに見える原因をちょっと抽象的に説明したい。

上記5つの規範のなかに「患者の希望や意思に沿う」が入っていた。患者の希望を聞き出す事は医師の重要な業務のひとつだが、患者自身も自分の希望や意思をすぐには言語化できない事が多い。

そこで、医療機関の殆どは患者の希望をテンプレ化して診療を行っている。殆どの患者がこのテンプレ内の希望であろう…と想定して診療行為をしているのだ。

しかしながら、人間はそれぞれ信念や人生哲学や価値観がを持っている。当然、一定程度の頻度でテンプレでは処理できないケースが出現する。

まず、医者のプライドが高く見えるのは、目の前に登場する患者の殆どをテンプレ内で迅速に処理しようとして患者個々人を診ようとしていないからだろう。

そして、テンプレで対応不可な患者の出現に対して、テンプレ以外の対応を拒否することも医者のプライドが高いと思われる原因だ。

なぜ医者がテンプレ以外の対応を嫌がるかといえば、それはテンプレ内で対応している、換言すればテンプレ対応で我慢してもらっている他の多くの患者達に申し訳ない事をしたくないからなのだ。

もっと抽象的に表現してみよう。

医療の恩恵を多数の患者に享受してもらうためには、医療者および医療提供システムは最大公約数的なテンプレ思考&行動にならざるを得ない。

そのため患者個人由来や原因でのテンプレ外対応は物理的・心理的・医療システム的にかなり高負荷な作業となるのだ。

医療者にとってテンプレ外の思考・行動は時間と体力を疲弊させ、時に院内システムの機能不全をもたらす事になる。

このテンプレに拘る医者の姿勢が、1人1人が心や思考を持つ人間である患者には、医者のプライドが高く見えるのではないか…と『理屈コネ太郎』は思っている。

如何だろうか?

医者のプライドが高く見える理由②』へは”ココ”をクリック

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医者のプライドってそんなに高くない』へは”ココ”をクリック

今回は以上。

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