学び方の提案 まずは全体像に慣れよう

別の頁(当サイト内当該頁を開く)で『理屈コネ太郎』は独学が受容力を高め、受容力が人生にハッピーを招くみたいな事を書いた。

そこで本頁では独学の技法の一部について説明したい。

以下、まずは全体像を俯瞰する学習方法について理屈をコネる。

読者の時間節約のためにまずは結論から。意見を異にする人はスルーでお願い。

①とにかく1回、全体像を出来るだけ短時間で粗く俯瞰して慣れる。
②もう1回、前回よりやや詳細に俯瞰して更に慣れる。
③②を全体像のボリュームに合わせて繰り返す
④アウトプットして力試し。必要性を感じたら③に戻る

である。(⑤もあるのだが、それは後述する)

因みに『理屈コネ太郎』は大したヤツではない。お金持ちでもなければ、資格王でもないし、一流大卒でもない。まあせいぜい、そんなに負けてないって程度のヤツで、普通に生活できてるヤツって程度だ。

では何故、あるいは何を根拠に私の学習法を開陳する意味があると私自身が思うのか…と賢明な読者なら疑問に思う筈だ。

それは、学校で体験した被採点者立場での学習体験に縛られている人がいて、その中にはその体験から解脱して自分に合った学習法を早い段階で身に付ければ人生にターボがかかる人が一定数存在することを『理屈コネ太郎』は偶々知っているから。しかもブースト圧のメチャクチャ高いターボだ。

では、被採点者的な学習とはなにか。それは採点者にとって好都合な学習である。

採点者、つまり学校の教師達は教え子達の進達度を計測して評価する事も業務だ。

であれば、教師達は計測して評価する事を前提に教える筈だ。それは、教え子達に対して到達目標を提示できるというメリットもある。「試験日である〇月△日までに、教科書◇◇頁までが試験範囲ですよ」と。

こうした教授法・学習法は、わかりやすいので多くの教育機関で採用されている。しかし、これには罠があると思う。

ここでわかりやすいのは、採点者・被採点者の間のスケジューリングであって、学習者が学習対象をわかりやすく学べるかって事とは別のハナシなのだ。。

進達度を計測して評価する事を前提とした教え方や学習法が、教え子達にとって学習対象を本当に理解しやすい学習法では必ずしもない‥ということは、少し考えれば容易に想像がつく。

進達度を計測して評価しやすい教え方・学習法とは、、学習対象を段階や部分に区分けしてStep by Step的な教え方・学習法を生みやすい。それこそがスケジューリングだし。

先ず基礎を固めて、しだいに高度な内容に進んで行く的な、下(基礎)⇒上(応用)って学習概念。

譬えてみれば、建築のようだ。まず基礎を打って、その上に建物をたてて、最後に室内装飾に進む的な。

しかしこのStep by Step的学習方法は、『理屈コネ太郎』のように全体像を俯瞰してからでないと部分理解に進めない思考回路、あるいは癖と言ってもいい、の持ち主には極めて不向きなのだ。

つまり、建物の最終的なビジョンを肌感覚で理解できないと、区分けされた作業の意味が分からず、意味が分からないと与えられた作業に情熱が湧かないというタイプの人には、Step by Step的学習は不向きだと思う。

では最終的なビジョンを肌感覚で理解する学習法とはどういうものか。それは、彫刻の作成作業に似ていると思う。

まず全体を粗く削りだし、次第にしかし全体的に詳細に彫刻していく作業。全体について、粗(全体)⇒詳細(細部)にと進んでいく作業。

ご理解いただけるだろうか。

すこし具体的な話をしてみたい。

①として、勉強したい対象があったら、とにかくその分野の定評あるテキストを一冊、短時間のうちに通読する事から始めてはいかがだろうか。

短時間というのは、だいたい1日か2日くらいが目安。週末を1回、そのテキストに捧げるつもりで読む。

勿論、初めて学ぶ内容だから、初めての専門用語が頻出してビビるが、とにかくその本の本章に書かれている全ての文字の上に視線を走らせて、通読する。

1回目の通読が終わったら、②に進む。

①のあと、②には出来るだけ早急にとりかかる。例えば、①の1回目通読を週末にするとしたら、②の2回目通読は月曜の通勤電車とか帰宅後すぐにとかから始める。

すると、1回目の時よりも格段にテキストの内容が理解できている事に気付くはずだ。これが②である。この格段の理解の違いを実感して欲しい。

でも、油断してはいけない。それはたぶん本当は理解ではなくて、ちょっとだけ専門用語とかに慣れてビビらなくなっただけろう。

2回目の通読を出来るだけ早く終わらせたら、③の3回目の通読に入る。ここでもやはり、格段の理解の向上を実感する筈だ。

3回目の通読くらいからは、重要な箇所に印をつけたり、関連するページにマークを付けたりしてみよう。

例えば、243頁に出て来る用語の意味が分からないとする。しかし、その用語はそのテキストのそれ以前の何処かの頁で定義が与えられていたりする事をあなたは既に知っている。

なぜなら既に2回も通読しているから。それが仮に45頁だったとしよう。そこで45頁に243頁でもその用語が出てくる旨の記載をテキストに適当な箇所にメモする。同時に、243頁にその用語は45頁で定義が与えられている旨のメモを書く。

そうやって、3回目の通読を終わらせる。いよいよ④のアウトプットである。

そのテキストに章末問題などがあるのなら、それらにアタックしても良い頃だと思う。章末問題をみてもビビらないはずだ。なぜなら、そのテキストの何処にその問題を解くに必要な内容が記載されているかを知っているから。

こうして彫刻作業的に学習すると、あなたはそのテキストの構造、内容をアタマの中でビジュアル的に把握できるようになる。

そのテキストが適切な内容なら、そのテキストも当該分野の一部である事に気付けるようになる。

これが⑤だ。全体を彫刻的に俯瞰しつつ進めていた学習が、実は(当たり前ともいえるが)なにかの一部なのだわかるとき。

そのテキストを卒業して同じ分野のより高度なテキストに進むもよし、全く違う分野の勉強を始めるもよし、勉強で得た知識をバンバン実生活で使うもよし。

今回は以上。

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