射幸心の健全で生産的な使用法!

統計学の基本を一度でも真剣に勉強した事がある人なら誰でも、幸運をアテにする事の無意味さを知っている。

何故なら、統計学では運はどうにも制御できない現象である前提で構築されているから。

幸運の性質のひとつ制御不可能であることなのだ。

幸運という現象は存在するだろうが、狙って再現できる現象ではない。運とは努力の範囲外の現象なのだ。

とはいえ人間は不思議だ。統計学関連やファイナンス分野の博士を持つ人であっても、お楽しみとして宝くじを買ったりしている。

さて、『理屈コネ太郎』は射幸心という言葉がわりと好きだ。

射幸心とは読んで字の如く、幸運を狙って射抜こうとする心理の事。狙うって所がキモで、幸運は狙って実現できる現象…と思う心理。

既述した統計学専門家の宝くじ購入はガチな射幸心によるものではなく、多くの宝くじ愛好家と同様にダメ元だけどお楽しみで夢を見る程度の”お遊び”である。射幸心があったとしても、極めて小さなものだ。だから、宝くじ購入金額も生活に支障を来す程の額ではない。

一方、世の中には肥大した射幸心で人生を台無しにしてしまう人もいる。いわゆるギャンブル依存症という人達がそうなのかは不明だが、「負けがこんでるから、そろそろ大勝ちが来る頃だ」みたいな事を考えて、生活に支障が出る金額を賭け事に投じてしまう人。

ギャンブルの負けをギャンブルで取り戻そうとする心理。

誰もが幸運は好きである。幸運を狙いたい気持ちは誰にでもある。そこで『理屈コネ太郎』は、以下のように考える事にしている。

幸運は狙って実現できる現象ではないけれど、幸運が私に訪れたときにはそれを出来るだけ最大漏らさず掴み取る準備だけはしておきたい。

ところで、幸運という現象は”私は幸運ですよ”とハッキリとわかる形では人前に現れない。ある人の眼では幸運だと判別できる現象も、別の人の眼では幸運に映らないかもしれない。

であれば、目の前で展開する諸現象の中で幸運事象を見極める選球眼が重要になってくる。そして当然、選んだ現象を活用する能力、すなわち打撃力も重要だ。

ところで、ここでいう選球眼とはポジティブ思考とは違う。

ポジティブ思考は考えや捉え方であり、選球眼は能力だ。

例えばポジティブ思考とは、野球でボールをストライクと審判が判断した時に「まだワンストライクだ!諦めない」と考える事であり、選球眼とはボールをボールと、ストライクをストライクと見極める能力の事。

付け加えると、ポジティブ思考は誤用すると自分を甘やかす言い訳に使用される可能性があるが、選球眼に誤用という事はない。

話をもとに戻すと、そういうわけだから、『理屈コネ太郎』の射幸心の現れは選球眼と打撃力を普段からの鍛練ということになるのである。

幸運は狙うものではなくて、偶然にヒッソリと顕現するのを見つけてモノにする対象なのだ。

ところで蛇足だが、縁結び神社や縁切り神社に行くのは、お遊びとしては宜しいが、本当に結婚したかったり離婚したい場合には、もっと現実的な現象を見極めて活用する能力を磨いた方が確実だと思う。

おまじないでは幸運は呼べないし、仮に呼べたとしても活用出来ない。

大切なのは幸運を見極める選球眼と、幸運を活用する打撃力である。

今回は以上。

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