小室直樹著『経済学をめぐる巨匠たち』

komuroとキーボードを叩くと、tetsuyaではなく自然とnaokiと指が動く。それほど、小室直樹(Wikipedia『小室直樹』の頁を開く)は私にとって影響大なる人物だ。私にとって私淑という言葉がぴったりの対象であった。

小室直樹の著作数は膨大で、最も有名なのは『ソビエト帝国の崩壊』(1980)だが、私『理屈コネ太郎』は『経済学をめぐる巨匠たち』をここでは推したい。

その理由は、経済学という学問が貨幣経済・資本主義経済が興って以降に生まれた若い学問である事と、経済という社会現象を数理的手法で研究するという理科系(古い表現だが)学問であることの2点を私に再確認させてくれたから。

『ソビエト帝国の崩壊』がそうであったように、彼の見識の正しさを歴史が証明している。小室直樹の知が現代に与えたインパクトは大きい。

2002年ノーベル経済学賞が、ダニエル・カーネマンに授与された。カーネマンは経済学と心理学の両方の専門家であり、その結果として行動経済学と呼ばれる領域の第一人者となった。

1人の人間が複数領域の専門家になろうとするは、日本の大学教育、もっと言えば日本社会には受け入れられない発想だ。1つの事に一意専心に精進してこそ専門家と呼ばれる水準に達するのだから。お門違いなんていう言葉もある。要するにお作法ってやつだ。

しかし小室直樹は言う。現代のタコツボ型の知識縦割り大学教育では学際的な研究は不可能である。学際的な研究をするためには、まず1つの領域の専門家になり、次にまた別の領域をゼロから学び始める覚悟で取り組まなくてはならない。その為には良い師に弟子入りして集中的に知識を授けてもらう必要がある、と。

小室直樹は、学問の世界を理学部数学科から歩み始めて、心理学、社会学、法学、政治学などの多数の学問領域を次々と修めていった。もしかしたら、人間や社会や素粒子も含めた自然、観察しえる対象、思考しえる対象、あるいは思考そのものの本質にも迫ろうとしていたのかも知れない…っと思ったりもする。で、あるとすればなんと野心的な生き方だろうか。

小室直樹の凄いところは、諸学の本質的な枠組みをきちんと理解し、社会現象に当てはめて分析・考察をしているところである。学問が役に立つものであると実証しているのである。その良い例が『ソビエト帝国の崩壊』であった。

この本が出版されたとき、KGBや秘密警察、監視や密告制度などが縦横無尽に張り巡らされた恐怖による統治メカニズムが瓦解するはずないと嘲笑する知識人たちが沢山いたものだ。

話は変わるが、北朝鮮は早晩崩壊すると随分前から言われてきた。国民が貧困に喘ぐ一方で、金ファミリーは艶々しく生活している。このような体制の国が長続きするはずないと誰もが思っていた。しかし豈に図らんや、北朝鮮は核攻撃能力を着々と増備しつつある。日本は言わずもがな、太平洋のかなた米国本土にまで到達しえる弾道ミサイルを開発しているという。あまつさえ、潜水艦から核ミサイルを発射する技術にも取り組んでいるとか。

かつてのソビエト連邦とは比較できないほど小さなアジアの小国が、自国民の飢餓を代償にしてこれほどの戦力を構築しようとは、いったい10年前の日本人の誰が予想しただろうか。

小室直樹が今生きていたら、北朝鮮の未来と世界の関係性についてどのような分析をしてくれていただろうか。

と散々『ソビエト帝国の崩壊』推し的な事を書いてきたが、やはり私にとって小室直樹の真に偉大な点は、諸学の発展発達についての歴史観をもっていたということだと思う。

迷える子羊である『理屈コネ太郎』に、経済学の歴史観の道標を与えてくれた本書は、私にとってまさしく小室直樹的な一冊なのである。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です