意地悪さと高規範性社会を両立させる日本のキーワード スパイト行動 

以下『理屈コネ太郎』の管見による私見である旨を承知して読み進めて欲しい。

日本人は出る杭を打ちたがる意地悪な国民性である。と、同時に幾多の自然災害の際に世界から賞賛された高い社会性を持つ国民でもある。

意地悪さと高社会性の両立は日本人の中でどうして可能なのか。『理屈コネ太郎』には長年の疑問であった。最近、この疑問を解く概念に遭遇したので、嬉しさのあまり備忘録替わりに本ページに記す事にした。

スパイト行動という概念がそれである。(詳細は英語版であるが”ココ”をクリック)

スパイト行動とは、簡単に言えば”イジワル”の事。自分の手間と時間をかけて気に入らない他者の利益を減損させる行為だ。

私はあなたに不快な思いをさせられたのだから、私はあなたに不快を与えて当然である…という考え方ともいえる。

例えば、イジメなどは好例だろう。イジメっ子は自分を不快にする他者(イジメラレっ子)を大変な手間と時間とエネルギーをかけて精神的・肉体的に不快を与え続ける。

イジメられたくない子供たちは、自分が不快な他者にならないような行動をとって、自らがイジメの対象にならないようにする。

大人の世界にもこういう風潮は間違いなくある。誰かに不快に思われないように、世間様に叱られないように、自分の行動を一定範囲内に収めようとする国民性が日本人にはあるのだ。

イジメ問題において、イジメられる側にも問題や責任があるとする言説はこういう背景から出てくる。

特に大人の世界のイジメでは、イジメる側は自分の行為をイジメと認識しておらず、むしろ義憤や正義の念に駆られた行為くらいに考えているところがある。つまり、自分は正しいと思い込んでいる。

ここで視座を変えてみよう。世の中には誤った正義感による誤った義憤に駆られて手間暇をかけて他者を追い込もうとする人達がいるのだ…という認識が人々の間に共有されていたらどうだろう?

そういう共通認識がある社会では、誰かの正義感を逆なでしないように、人々は周囲と同調していそうな行動だけを周囲に見せようとするだろう。

そういうわけで、こうした社会では構成員は高い社会性を発揮することになる。

日本人は、高い社会性を持つと言われると同時に、出る杭を打たずにはいられない国民性を持っている。その根本にはスパイト行動があると考えると色々と辻褄があう。

そして出る杭を打つ社会であるがゆえに、本邦ではイノベーションが起きにくいのでは…と『理屈コネ太郎』は感じている。

日本では、大学や官庁などの世をリードすべき組織ほど、古い体質が蔓延っている。例えば、先輩後輩の序列だ。

本人同士の能力に大差はなくても、入職年度が一年違えば先輩後輩力学が強く作用する極めて歪な関係性。雑用を全て同じ職種の下位職員に押し付ける風土では、雑務の電子化や簡略化などは組織内の重要案件になり得ない。

目に見える雑用は下位職員に押し付けて、目に見えない抽象的な業務をしているフリをしてその実なにもしていない管理職がなんと日本社会には多いことか。

日本人が時に一種の美徳と考えるこうした封建的な精神性は、別の角度から見るとスパイトな気風とも捉えられる。そしてスパイトな気風はイノベーションを興さないように作用する。

日本が凋落しているのは、こんなところに原因があると『理屈コネ太郎』は勝手に想像している次第。

今回は以上。

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