以下、『理屈コネ太郎』のごく狭い視野からくる私見にすぎないことをご了承の上、お読みいただきたい。
日本人は「出る杭を打つ」ことで知られる意地悪な国民性を持つといわれる。
一方で、災害時には驚くほどの秩序と助け合い精神を見せ、世界から高い評価を受けてきた。
この“意地悪さ”と“高い社会性”の両立はどうして可能なのか?
長年の疑問であったが、最近そのヒントになる概念と出会った。
それが「スパイト行動(spiteful behavior)」である。
(詳細な定義については、英語ページを参考にどうぞ → ”ココをクリック”)
Contents
■スパイト行動とは?
簡単に言えば、「イジワル」のことである。
もっと具体的に言えば、
自分の手間と時間をかけてでも、気に入らない相手の利益を損ねようとする行動。
つまり、「私はあなたに不快な思いをさせられたのだから、あなたにも不快を与えて当然だ」という“報復”の心理である。
■イジメの構造とスパイト
このスパイト行動の典型例は「いじめ」である。
いじめっ子は、ターゲットを精神的・身体的に追い詰めるために、相当の労力とエネルギーを投じている。
合理性など皆無だが、それでも彼らは「報復として当然」「むしろ正義」と信じている場合すらある。
いじめられたくない子どもたちは、「自分が不快な存在にならないように」と、自発的に周囲と同調しようとする。
つまり、**“スパイトを回避するための社会性”**が育まれる。
この構造は、大人の社会にもある。
職場や地域社会で、「誰かに嫌われないように」「目立たぬように」と自分を抑え込む人は多い。
■スパイト行動と“正義感”の誤作動
さらに厄介なのは、多くのスパイト行動が正義の仮面をかぶっていることだ。
いじめや嫌がらせが、「あいつが非常識だから当然」「ルール違反を見逃せない」といった義憤や正当化のもとに行われてしまう。
つまり加害者は、自分の行為を“意地悪”だとは思っていない。むしろ「正しいことをしている」と信じている。
■社会が“スパイト”を前提に設計されていたら?
もし人々が、「社会にはスパイト行動に走る者がいる」と認識していればどうなるか?
そうした社会では、「誰かの正義感を刺激しないように」という動機から、目立たない・出すぎない・波風立てない行動が好まれる。
つまり、意地悪回避のために高い社会性が育まれるのだ。
これが、日本社会で「意地悪さ」と「高社会性」が同居するカラクリではないか、と『理屈コネ太郎』は考えている。
■スパイト文化がイノベーションを阻む?
出る杭は打たれる。
だから日本では、イノベーションが生まれにくい。
大学や官庁など、社会をリードすべき組織においてさえ、旧態依然の上下関係が残り、「変化」よりも「前例踏襲」が重視されている。
たとえば、入職年度の違いだけで上下関係が固定化され、雑用は下に押しつけられ、上は“抽象的な業務”という名の実質何もしない仕事に逃げている。
この封建的な気風こそが、日本社会に蔓延するスパイト的文化であり、結果として変革を恐れる空気を生み出しているのではないか。
日本人の“高い社会性”は美徳である一方で、
その裏にはスパイト行動への防衛本能がある。
そしてそのスパイト的空気が、日本の停滞や凋落の背景にあるのでは——
と『理屈コネ太郎』は勝手に妄想している次第である。
今回は以上。
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