日本の歴史は長く、複雑であり、時に議論を呼ぶ事実もある。日本人なら日本の歴史を知っておこう。ただし好きになる必要はない。ただ、自分たちのルーツを知り、どこから来たことを知れば、これから何処へ行くかも考えやすくなる。だから、歴史を学ぶことは大切だ。ここでは、日本の歴史の重要な側面について、理屈コネ太郎の視点からボンヤリと説明していく。日本の歴史をしって、やっぱり日本ってダサいと思うのは全く各自の自由である。
さて、いつものように理屈コネ太郎の管見内の独断と偏見による知ったかぶりである事をご銘記のうえ読み進めて頂きたい。
1. 江戸時代末期と明治維新:独立を守った日本の選択
1853年、ペリー提督が軍艦(軍艦である。攻める気満々だったのだろう)を率いて浦賀に現れ、日本に開国を迫った。西欧列強が次々とアジアを植民地化していた時代、米国も日本の植民地化を狙っていた。しかし、徳川幕府はこの圧力に屈することなく、要求を受け入れつつも、巧みに植民地化を回避した。この外交の成果が、後の明治維新の土台となる。
明治維新では、欧米列強に追いつき独立を守るために、日本は急速な近代化を進めた。日本独自の文化や価値観を維持しながらの近代化は、他のアジア諸国に見られない独自の現象だった。こうして日本は、日清戦争や日露戦争で列強の一員として認められるまでに成長した。
2. 東南アジアの独立と日本の役割
当時、東南アジアは次々と西欧列強の植民地となり、日本も米国に狙われていた。しかし、日本は独立を守り抜いただけでなく、後に大東亜戦争で西欧と正面から戦うことで、東南アジア諸国の独立を後押しした。大東亜戦争後、これらの地域は再び植民地化されることなく、独立国家として歩み始めた。日本がアジア人として唯一西欧と戦った結果、この独立運動に影響を与えたことは、歴史の重要な一面である。東販アジアには親日的な国々や人が多い。それは、当時の横暴で傲慢な白人支配者たちに一発食らわせたアジア人が日本人だからと言っても過言ではない。
3. 大東亜戦争とその議論
大東亜戦争において、日本が酷いことをしたと主張する国は中華人民共和国と大韓民国の二つとだいたい相場が決まっている。この点は興味深い。なぜなら、日本が当時戦ったのは「中華民国」であり、現在私たちが中国と呼ぶ「中華人民共和国」は戦後に建国された国だからだ。彼らの「中華人民共和国が日本に酷いことをされた」という主張には、時系列的に見るとそもそもの合理性を欠く。
また、朝鮮半島についても誤解が多い。当時、朝鮮半島は日本に併合されており、日本の一部だった。朝鮮の兵士も日本軍として戦争に参加していた事実がある。つまり、「朝鮮の兵士が日本軍と戦った」という主張は成り立たない。もしかしたら民族主義的な小さなパルチザンやレジスタンスが存在して実際に局地的な銃撃戦があったかもしれないが、それはその程度の広がりしか見せなかった。なぜなら、併合後の朝鮮半島はインフラや教育水準の著しい向上を得て、衛生状態も経済状況も劇的に向上し、殆どの人はそれなりに満足であり、日本の統治に命をかけて反抗するほど不満はなかったから。
4. 朝鮮半島との関係:日韓併合の史実
日本と大韓帝国の間では正式な合意のもとで併合が行われた。むしろ、朝鮮半島側の求めによって日本に併合されたという史実がある。当時、朝鮮半島の人々の中には日本に併合される事に忸怩たる思いを抱いた者や併合反対を唱えた者も当然いただろう。しかし、国家間の正式な取り決めとして併合が平和裏に行われたのは歴史的に事実。この点を理解することが、近代史を正しく知る上で欠かせない。
5. 特攻と硫黄島:先人たちの覚悟
大東亜戦争末期、日本は「特攻」という戦術を採用した。特攻は、敵艦に体当たりするという過酷な戦術であり、兵士達が帰還する方策を最初から放棄した「統帥の外道」と呼ばれた戦術である。現代では無駄死にと評価されることも多い。しかし、詳細な記録によれば、特攻や硫黄島での激闘が米軍に与えた心理的な衝撃は非常に大きかった。恐怖に発狂した米軍人もいたという。特攻は多くの米艦に損傷を与え、戦局に一定の影響を及ぼしただけでなく、戦後の講和交渉を有利に進める一助となったとされる。
つまり、今日の平和な日本があるのは、こうした特攻や硫黄島で命を懸けた先人たちの犠牲によるところが大きい…と言う事である。この事実をどう受け止め、どう血肉にするかは各自の自由だ。誰かの犠牲なんて辛気臭いと思うひとは、それはそれである。
ちなみに、特攻に出撃する直前の乗組員たちは、死んで魂となって靖国の桜の下で会おうと誓いあって飛び立ったという。この事だけでも、理屈コネ太郎は靖国神社は靖国神社であるべきと思う。理屈コネ太郎は現代人なので、本当に彼らの魂が靖国に集うかは私には分からない。しかし、彼らがそう言って飛び立ったのなら、約束した再会の場所である靖国を存続させたいというのが、私の気持ちである。
6. 天皇の存在:世界的に珍しい系譜の継続
日本は建国以来、父系男子による天皇という祭祀王を維持してきた。祭祀王や王朝の王がこれほどの長きに渡り続いている事例は、世界的に見ても極めて珍しく、日本の天皇以外にはほとんどない。おそらく唯一だろう。
この優に千年以上続いている系譜を現代において仮に断絶させてしまったとしたら、取り返しがつかない。たとえ天皇制に疑問を持つ人であっても、千年以上続くこの系譜を現代の世代で途絶えさせることには大きな躊躇いを感じるだろう。この点は、日本の歴史を考える上で重要な視点だ。もしなんの躊躇いもないとしたら、かなり野蛮な人なのかな…と理屈コネ太郎なんかは思ってしまうな。
7. 歴史を知る意味
歴史を学ぶことは、固定観念や偏見を問い直すきっかけになる。日本の歴史を好きになる必要はない。嫌いになって海外の人になるのも自由だ。史実を知り、その背景を考えることで、自分たちが今どのような道を歩んでいるのかを見つめ直すことができる。そして、それは未来を考えるための重要な指針にもなるかもしれない。日本の歴史、とくに戦後の歴史はGHQによる情報統制や他国の情報プロパガンダによって拗らせまくられていて、真実にたどり着くのは非常に困難だが、その困難を乗り越える価値があり、事実を知ることで得られる視点は豊かであると、理屈コネ太郎は考える。日本人に生まれたなら、まず日本の歴史をきちんと知っとくとその知識ば世界に出た時に強い武器になる事は間違いない。
ただ日本の現近代史を学ぶには、学校はまったくアテにならないので、自助努力で勉強するしかないが、今はYou Tubeなどで良い動画が沢山あるのでハードルはずいぶんと下がったと思う。繰り返して恐縮だが、日本の歴史をきちんと知ったうえで、それでも自分は日本の文化には馴染めないというのであれば、それは全くの自由である。自信をもって日本に違和感を感じて欲しい。
今回は以上。