全10巻の傑作漫画、東元俊哉著『テセウスの船』について理屈をコネる。
間違いはスルーでPlease.
本作は、テセウス船のパラドックス(Wikipedia当該頁を開く)を題材にしている。
テセウスの船のパラドックスとは、例えば船を構成するパーツが少しずつ置き換えて、全てのパーツが置き換えられたあと、はたしてその船は最初の船と同じ船と言えるのか…という問い。
本作におけるテセウスの船のパラドックスはこうだ。
いま、ここにある現実、世界。それは生まれる前に発生した悲劇に起因する烙印を背負った主人公がやっと見つけた幸福。
出産を控えた愛する妻と築いた家庭。
その妻は出産で他界し子供が残される。これがテセウスの船だ。
このテセウスの船のパーツが新しいパーツに置き換えられていく。
始まりは、主人公の28年前へのタイムスリップ。それは彼が生まれる数か月前の過去。
過去の世界で彼は生まれる前に発生し、自分に烙印を押した悲劇を防ごうと過去に干渉する。
これが、テセウスの船のパーツ置き換えだ。
その努力が次第に奏功して、現在に繋がる過去が書き換えれれていく。
どんどん船のパーツが入れ替えられていく。
ある時、主人公は何かの拍子に過去から”今”の少し前に戻る。
そこは、過去に彼が干渉したためなのか、彼の知る世界とはかなり違うものになっていた。
彼の知る、テセウスの船とは違う船になっていた。
新しいテセウスの船の世界では、彼は幸福を見つけられない展開が彼には予想された。
そしてまた何かの拍子に彼は過去の惨劇発生前の世界に戻る。
過去の世界で彼が過去に干渉し続ければ、テセウスの船はますます変わってしまうだろう。
ここに至り、帰るべき彼のテセウスの船は存在しない事を彼は知る。
もう引き返せない。故に彼は新しいテセウスの船で生きる新しい自分(まだ母の胎内にいる)が自分と同じ烙印を押されぬように、惨劇回避のため全ての取り得る行動を取る。
そして惨劇は回避され、彼のテセウスの船の惨劇のパーツは全て入れ替えられた。
もはや、その結果が彼の世界で妻と出会い家庭を築くパーツはない。
物語は、帰る場所がなくなった主人公と、全てのパーツが入れ替えられたテセウスの船の整合性を保つため、これしかない!って感じでクライマックスからラストへと突き進む。
惨劇ゆえに烙印を背負っていきた悲しい主人公の半生は読み手の胸を打つが、主人公が生きた過去の世界で彼に押された烙印がいわれなきものであった事を彼が知れた事、そして主人公の行動ゆえに発生した新しいテセウスの船が読み手に救いを与えてくれる。
これが、著者の狙ったパラドックスだと『理屈コネ太郎』は思う。
物語のスパイスとして、犯人は誰だ?的な楽しみはあるが、『理屈コネ太郎』的にはそれは別にどうでもいいかなって感じ。
実際、テレビドラマ版では犯人違っていたし。あのドラマを観て原作に興味を持って読んでくれればいいんじゃね?って印象だ。
全10巻で、タイムリップモノ特融の時間軸を前後に移動する煩雑はストーリーを見事に構築し、数多く登場する人物の描写も豊かで、柔らかい繊細な筆致でテセウスの船になぞらえたパラドックスを描出しつつ、最終的に読み手に救いを感じさせる本作は素晴らしい作品である。
本作で興味深いのは、同一人物が2人、同じ時間に存在する事だ。この構造が本作のテーマの最大の伏線を形成している。
この点は、意識と記憶だけが過去に飛ぶ「三部けい著『僕だけがいない街』全9巻」(当サイト内当該頁を開く)とは異なっていて、『僕だけ…』では、同一時間に同一人物が2人存在する事はない。
ところで、タイムトラベルモノには色々な歴史や考えや議論があって、なかなか面白いので、お時間のある方はWikipedia(の当該頁を開く)を参照されたい。
『百万畳ラビリンス』や『プラネテス』より長いが、切れ味のある、絶妙な構成力と表現力。世界観にドップリつかって一気に読める魅力ある作品だ。
一体、日本にはどれだけ優れたクリエイターが存在するのだろう。