長編&既完結&傑作な漫画、真鍋昌平著『闇金ウシジマくん』について『理屈コネ太郎』がコネて紹介する。
間違いはスルーでPlease。
主人公の丑嶋は、中学生の頃から完成した行動原理を持つブレない男である。
物語の中で成長も順応もする必要がないほど、最初から完成した人物である。この点、傑作韓流ドラマ『梨泰院クラス』の主人公パク・セロイと似ている。(当サイト内当該項目の頁を開く)
その完成した行動原理ゆえに、とにかく周囲と軋轢を起こす。軋轢の結果、丑嶋に心酔して部下になる者もいれば、恨みを募らせて敵対心を成長させる者もいる。
丑嶋は闇金業を営んでいて、お金にショートしている人間達と次々と遭遇していく。
金融業をテーマにした漫画に、青木雄二著『ナニワ金融道』(外部リンクWikipediaの当該頁を開く)があるが、『ナニワ…』は合法の消費者金融に取材していて、また時代も法律も今とは異なる。
本作の面白い&凄いところは表社会の金利・手数料・税金といった概念と、裏社会での金利・手数料・上納金といった概念とが、絶妙に入り組みながら、登場人物達のポジションやインセンティブを浮き彫りにしているところだ。
『理屈コネ太郎』はファイナンス専攻で修士号を持っているが、その私にとっても、勉強になって面白いネタというか内容が盛りだくさんの本作である。
本作は、フォーカスされる人物や事象によって幾つかの章に分かれる。倒錯した犯罪者がフォーカスされている章もあれば、地方都市のヤンキーがフォーカスされている章もある。
結果的に救われる登場人物もいれば、状況を悪化させてしまう登場人物もいる。ビフォー・アフターで変わり映えのない登場人物もいる。
丑嶋は10日で5割の利息で客達に現金を融通する。この利率は勿論真っ黒だ。
しかも、その利息を最初の貸し出しのときに差し引いて客に現金を渡すという無法なビジネスだ。
本来、貸し出し時点で差し引かれては利息とは呼べない。借りた時間に対して加算されるのが利息だから。
ファイナンス的に言えば、利息を貸し出し時点での価値に割り引たら”0″だ。マルではなくてゼロだ。(Wikipedia利息の頁を開く)
だから、貸出時点で利息を差し引く行為は利息の本来の意味を考えると原理的にあり得ない行為なのだ。
現に丑嶋だって、10日で5割というように、10日という時間に対して5割という利息を設定しているのに。
ところが、そんな不利な条件でも現金を借りに来る客達が存在している。そうした客達の心理や環境や如何に。
不利を背負うのは客達だけではない。丑嶋にも不利はある。法治国家における最大の不利である違法性を彼の稼業は背負っているのだ。
違法な取引ゆえに、業者・顧客間の契約書も作れない。作っても法が実効しない。全て口約束。だから、貸す方の丑嶋にもリスクは高いビジネスだ。
客が知らんぷりして返済を拒んだら、丑嶋には泣きつく先がない。頼る相手がいない。法律は味方してくれない。自らの行動で客から貸出金と利息を取り戻さなくてはならない。
信用ならない相手を信用した体で現金を融通する厳しいビジネスだ。
普通の生活を送っている普通の人々にはこの丑嶋の条件での現金調達は選択肢としてはあり得ない(当サイト内『成功の鍵』の頁を開く)のだが、この条件でも現金を借りる客達が存在して、そしてそういう客達の環境や心象風景も実に巧みに描写している。
『理屈コネ太郎』の周囲にも居たいたこういう人…、そんな人物も登場する。いやもしかしたら、自分もこうした取引に手を染めたかも…と戦慄する場面もある。
借りる方にも貸す方にもリスクの高い取引である闇金融を通して描かれる群像劇、それが『闇金ウシジマくん』だ。
本作は長編なので、本作が全く刺さらない読者には読むだけ時間の無駄かもしれない。だから、2巻くらい読んで刺さらなければ、それ以上は読まない方がいいかも知れない。
金融は人類の叡智だ。人が人にお金を融通する。なぜ借りるのか、なぜ貸すのか。借りるとトクする場合とは?貸すとトクする場合とは?
人間の心理や経済合理性について、深く、そして深く、さらに深く、本当に深く考えさせる傑作漫画である。
『闇金ウシジマくん』の毒に疲れたら、こうの史代著『さんさん録』(当サイト内当該頁を開く)をスタビライザーとしてお奨めする。
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