時折、「自分の経験則」を「統計学的に正しい」と言い張る人に、出会う事がある。
もし、職場の上司や先輩がそんなことを言い出したら、ちょっと注意した方がいいかもしれない。
『理屈コネ太郎』は、そういう人を基本的に信用しない。
とはいえ、面と向かって指摘するのも角が立つので、「そうなんですね」と軽く受け流すのが大人の対応だろう。
なぜ信用しないかというと、そういう人は統計学を一度もきちんと学んだことがないことが丸わかりだからである。
そして、経験則と科学的な知見の間には明確な境界線があることを知らないのも問題だ。
これは、たとえるなら「自分が長年実践している健康法を医学と呼ぶ」くらいズレている。
統計学と経験則の違い、知っているようで知られていない重要ポイントなのだ。
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統計学と経験則は、そもそも役割が違う
たとえば「血液型性格分類」は、この話の典型例である。
「血液型で性格はわかりますよ。だって統計学的にだいたいそうなってますし!」
こういうセリフを聞いたことがある人も多いだろう。
だが、この「統計学的に」の中身は、実はその人自身の経験則にすぎないことがほとんどだ。
これは統計学ではない。
統計学とは、客観的なデータをもとに、専門的な手法で分析し、再現性のある結論を導き出すものである。
自分の身の回りで見聞きしたことをまとめただけでは、統計学とは呼べないのだ。
「エビデンスレベル」という考え方を知ろう
統計学と経験則を混同する人は、「エビデンスレベル」という概念を知らないことが多い。
科学の世界では、研究結果にも信頼度のランクがある。
利害関係のない多くの専門家によるデータ分析が最も信頼度が高く、個人の経験談は最下位に位置づけられる。
つまり、「自分の体験でそうだったから」という話は、統計学どころか、科学的エビデンスとしては最も頼りないものなのだ。
経験則そのものは否定しないが、それを「統計学」と言い切るのは、先人の研究を軽んじる行為でもある。
この「経験と科学の間の境界線」を知らないのは、非常にもったいないことだ。
経験則は悪くない。だけど、統計学と混ぜるのはNG
ここで誤解してほしくないのは、「自分の考えや経験談を語ること自体は何の問題もない」という点だ。
『理屈コネ太郎』も、血液型性格分類をお喋りネタにするのは大好きである。
- 「A型って几帳面だよね、やっぱり」
- 「O型って大らかっていうけど、あの人は確かにそんな感じ」
こういう会話は、日常の雑談としてとても楽しい。
自分なりのイメージを持つのも、もちろん自由だ。
ただ、それを「統計学的に正しい」とか「科学的に証明済み」などと言ってしまうと、一気に信用を失う。
話が「楽しい雑談」から「科学的な裏付け」にすり替わるからだ。
「統計学的に」という言葉を正しく使おう
近年、「統計学的に証明された」「科学的に効果あり」と謳う商品や健康法が増えている。
しかし、その中には、ただの個人の成功談や思い込みを「統計学」と言い換えただけのものも多い。
こうした現象の背景には、「統計学的」という言葉の正しい意味を知らない人が多いことがある。
悪意がなくても、誤解から間違った情報が広まることは少なくない。
だからこそ、「統計学的に」という言葉を使うときは、本当にその内容が統計学の手法に基づいているのか、少し立ち止まって考えるクセをつけることが大切だ。
まとめ|経験則と統計学を使い分けよう
最後に、『理屈コネ太郎』からの提案として、こんな表現ならOKという例を紹介しておく。
「血液型性格分類って、多くの人が”あるある”と感じてる。
それを踏まえると、学問的には否定されてるって、何か間違ってるんじゃない?」
このくらいの表現なら、「個人的な考え」を前提にしているので問題ない。
要するに、経験則と統計学は、役割も信頼度も別物。
それぞれの特徴を理解して、上手に使い分けていこう。
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