長所を伸ばすか、短所を改善するか 戦術的に正しいのはどちら?

長所を伸ばすか、短所を補うか、どちらが戦術的に合理的かについて『理屈コネ太郎』の管見内での独断と偏見に満ちた私見を述べる。

結論を先に述べると、あくまで凡人に限っての話だが、長所を伸ばすのと、短所を改善するとでは、短所を改善する方が圧倒的に良い結果を生む。

その理由は、偏差値で考えてみるとよくわかる。偏差値30から40までの向上に、仮に50時間の勉強が必要だとしよう。

では、同じ50時間の勉強(もちろん内容は違うが)で偏差値を60から70に上げる事が出来るだろうか。これはほぼ不可能と言っていいと思う。

成長のコスパは長所のレベルが上がれば上がるほど悪くなるのが普通。長所を伸ばす時間とかコストは、その長所のレベルが高ければ高いほど、費用対効果が落ちるのである。

故に相対的に、短所の改善は費用対効果が高いのだ。

加えて、短所を改善する作業は、新しい可能性と出会える絶好のチャンスだ。

だって、自分がそれまで時間と労力を投入してこなかった分野だから、自分にとって未知の分野なのだ。

だから、短所改善の努力は自分が想像もしなかった新たな世界や自分自身の長所の発見に繋がる。

そしてその新たな長所が何かの巡り合わせで将来の収入の手段になったりするから人生は不思議だ。

勿論、長所は長所として維持した方がいい。絶対に自分の長所を捨ててはいけない。

しかし、時にあえて短所に向き合ってみると思わぬ発見があったりする。

ところで、冒頭に”あくまで凡人に限っての話” と書いた。この凡人の意味を少し説明したい。

凡人とは、あくまで突き抜けていない人の事である。世の中の殆どの人が凡人なのは、突き抜ける事がいかに困難かの表れでもある。

だから、凡人は大きな短所があると、それだけで短所が小さい人に勝てない。

しかし、突き抜けた人は、殆どの人が到達しえない境地に達してる人だ。だから物凄く希少な存在だ。他に似た様な人が殆どいない人だ。

だから、場所と時代によるけれど、希少ってだけで生活に困らなかったりするのだ。

分かりやすく表現すると、ちょっと見た目が良い程度の外見だったら、性格や教養に大きな問題があると社会に居場所を作れない。

でも、もっの凄~く見た目が良かったら、性格も教養も関係なく、社会が「どうぞどうぞここに居て下さい」と居場所を提供してくれる。

そういう要素をひとつも持っていない人はみんな凡人である。自分で積極的に努力しなければ、社会に居場所を作れない。

でも、だからこそ思いがけない幸福に出会えるのだと思う。

社会の方から「どうぞどうぞここに居て下さい」って言われて居場所を与えられるのは、これはある意味で牢獄のようだ。何故なら、勝手に他所に行ったら絶対に叱られるし。

だから、自分自身で社会に居場所をつくるために、自分の短所と向き合って思わぬ出会いを楽しみ、移動の自由を享受するのが幸せだと思う。

突き抜けた人は、だから不幸になりやすい人が多いのではないかと、凡人代表の『理屈コネ太郎』は推察している。

ゆえに、凡人万歳なのだ。

今回は以上。

当サイト内の他のコンテンツにご興味あれば下記よりどうぞ。。
人生のヒント一覧表! 人生はスイスイスイ!』へは”ココ”をクリック
当サイト内コンテンツのページ』へは”ココ”をクリック

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です