最近の韓流ドラマ (吹替版より字幕版)

私、理屈コネ太郎が韓流ドラマについて持論を述べる。

冬のソナタ以降、基本手に私は韓流ドラマが好きである。これまでは推奴(チュノ)が一番のお気に入りである。

韓流ドラマの何が素晴らしいかといえば、まず演者の芝居スキルが高いこと。心理の描写をじつに巧みに顔面表情へと転換して、観る者の注意をグイグイとひきつける。年齢や立場の演じ分けも巧みだ。

第二に、台詞やモノローグが切れ味よく効果的に使用されていて、観る者の琴線に触れること。特に大切な事を直接言葉で言わずに、含意で観る者に分からせる脚本は惚れ惚れする。現代日本のドラマで、一番大事な事を主人公に大声で叫ばせるのとは対照的だ。

第三に、全編を通じて緻密なプロットが組まれていて、だらしのない終わり方が少ない事。

でもよくよく思い出してみると、昔の日本の役者の演技スキルは素晴らしかったし、台詞も切れ味よかった。ここでいう昔って、例えば高倉健や渡哲也が20代の頃のこと。このころの映画やドラマは色々と現実離れしているが、表現の陰影が立っていて、じつに巧みに物語を描出していたと思う。

で、韓流。最近、『愛の不時着』と『梨泰院クラス』が韓流ドラマファン界隈でやたらと評判がいいと聞いたので、両方とも観た。噂通り素晴らしかった。どちらも恋愛が物語の軸ではあるが、仲間同士の信頼関係も重要な軸。

仲間同士の信頼関係の構図のひとつに『男が惚れる男』がある。1971年放送のドラマ”清水次郎長”では、仲間同士の信頼関係を男同士の『惚れ』で描写していた。次郎長一家の面々は、互いの信念・思想に心底から感服・信頼し合っていて、その前提で親分・子分などの組織上の役回りを担当している、そんな感じ。次郎長一家の面々には、そこが一番居心地の良い場所であるがゆえに、そこに集っている。

しかし、この時代のドラマでは登場人物がどのような経緯で個々の信念・思想を持つに至ったかまでの描写は出来ていなかった。

で、またまた韓流ドラマであるが、韓流では登場人物たちの信念・思想の成り立ちが巧みに描出されていて、どの登場人物にも感情移入が出来てしまうようになっている。作品として、完成度が実に高い。

ところで韓流ドラマに限らず外国ドラマを楽しむには実はコツがある。まず、吹替版ではなく字幕版を見るべし。そして、ながら視聴ではなく腰を据えてみるべし。更に第一話だけでなく、ストーリーが走り始める3話か4話くらいまでは見るべし..だ。

吹替版を観ることは全くおすすめできない。その理由は、吹替版は字幕版とは別物に仕立てられているからだ。字幕版と吹き替え版を比較した事があるひとなら誰でもわかると思うが、吹替版は日本の声優が声をアテる段階で、良くも悪くも声優その他の日本側の人たちの解釈と表現が混入してしまい、本来の人物像とは全く異なる役柄が形成されてしまうのである。極論すれば、違う作品になっているのだ。しかもダサい方向に違う仕立てなのだ。

韓流ドラマには二匹目のドジョウを狙った、パート2やシーズン2みたいなのがあまりない。おそらく最初から企画された放送回数で全て完結するように練りに練って作られているように思う。だから、かなり緻密に精密に繊細に伏線が散りばめられ、そして巧みに伏線を回収するために物語中の時間経過が大胆に切り取られたりする。無駄があんまりないのだ。

勿論、吹替えによって違う作品になっても、それがより一層面白ければそれはそれで結構な事だとは思う。ちょっと話は逸れるが、ローマの休日という映画でオードリー・ヘプバーンの吹替版(複数ある)と字幕版を何度も見ているが、吹替版は日本側の解釈や願望が相当に混入しているが、これはこれで大変に楽しめる作品達に仕上がっていると思う。

しかし管見かつ繰り返しで恐縮だが、吹替版は面白くない方向に変えられてしまう事が多いように思う。

吹替派のなかには字幕版は登場人物が何を喋っているかが良くわからないと言う人がいる。思うに、そういう人の殆どがながら視聴なのではあるまいか。

腰を据えてしっかりと観れば、喋っている言語なんてわからなくて全然問題ないと思う。それはむしろ些末な事だ。まず大事なのは、役者の芝居なのだ。表情や声の調子や息遣い、つまり役者が作る雰囲気なのだと思う。

私はハングル語は全く解さないが、韓流ドラマは吹替版を観るより圧倒的に字幕版の方がそのドラマ本来の楽しみ方ができると確信している。役者の表情や息遣いや声の調子を集中して感じながら、字幕をチラ見して情報を補足すれば、その場面の、その登場人物の心象風景が伝わって来てしまう。何故って同じ人間だから。

またまた管見で恐縮だが、吹替版の台詞と、字幕版の字幕は、文字数や内容が違う事が多い。吹き替え版では役者が喋っているのと同じ時間だけ声優が声をアテる事が出来る。しかし人間の読む速度は聞く速度より遅いので、基本的に字幕版の字幕は極めてコンパクトに纏められている事が普通。吹替版と同じセリフを字幕版で映すと、殆どの人が読み終わらないからだと聞いた事がある。

韓流ドラマによく用いられる手法でひとつだけ疑問がある。それは、ひとつの物語の中で、ときにはひとつの放送回のなかで、複数の人物が心象風景を語るモノローグが挿入される事だ。この手法はちょっとズルい気がするが、ま、結果として全体が面白くなればそれでヨシかな?

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