顰蹙 不謹慎 世間体 迷惑 嫉妬(優越感) 偽善大好き日本

私、理屈コネ太郎は先祖代々生粋の量産型日本人である。そしてそんな私には、日本人の思考様式のOSに埋め込まれたコードには、新参者への意地悪、顰蹙、不謹慎、世間体、嫉妬や優越意識などが書き込まれているように思える。本稿では、日本人の国民性のややネガティブ(ポジティブなやつは別の機会にやります)な側の特性について考えてみたい。

Contents

顰蹙をかうと自分の首を絞める
日本社会では、「顰蹙をかう」という言葉は単なる非難の意味以上に重い。周囲の不興を買う行動は、個人の評判や信用に深刻なダメージを与える。それは、孤立を招き、場合によっては経済的な不利益にも直結する。たとえ個人の自由や権利が保障されている法治国家日本であっても、実際の生活圏では顰蹙を避けることが何よりも大事だ。悪目立ちせず、静かにサラリと行動する事が安全策として機能する。

不謹慎の代償は大きい
日本では、不謹慎な行動に対する社会的制裁が強い。公共の場での発言や態度が「場違い」とみなされた場合、それは瞬時に拡散し、周囲からの非難を浴びることとなる。不謹慎は、「その場の空気を壊す」行為であり、空気を読むことを重んじる日本社会では殆ど許されない。このような空気感は、災害時の一致団結や儀式の厳粛さといった美徳も育む一方で、個人の表現や意見の自由を抑圧する側面もなくはない。

世間様は最強の裁定者
日本が立派な法治国家である事は間違いない。しかし、日常生活の中で人々の行動を規定する最大の力を持つのは「世間様」だ。この抽象的で見えない存在が、家族や職場、地域社会といったあらゆる場面で暗黙のルールを作り上げ、違反者には即座に裁きを下す。法律に基づく裁定よりも、「世間の目」による判断の方が恐れられ、重要視されることが多い。「世間に顔向けできない」という言葉が物語るように、世間様の評価は社会的な生存戦略を左右するほどの影響力を持っている。こうした日本の在り様は秩序を保つうえで強力な役割を果たす一方で、過剰な自主規制や他人への過剰な監視を生む温床にもなり得る。

迷惑をかけないという美徳
日本人にとって、他者に迷惑をかけないことは基本的な行動指針である。この美徳は幼少期から家庭や学校で教え込まれ、社会生活全般に浸透している。たとえば、公共交通機関でのマナーや、近隣への音への配慮などは、日本社会の整然とした秩序を支える礎となっている。

しかし、この美徳には裏返しも存在する。それは、「迷惑をかける人」に対して世間様が非常に厳しい目を向けるということだ。迷惑行為とみなされる行動があれば、それが意図的であろうとなかろうと、即座に非難が集まり、場合によっては社会的に排除される。こうした圧力は、迷惑を避ける文化をさらに強固にする一方で、他者への寛容さを損ない、許容度の狭い社会を作り出してしまう可能性もある。

嫉妬と優越感の共存
日本人は嫉妬心が強い。誰かが突出すると、賞賛とともに批判がついて回る。「出る杭は打たれる」という諺が示すように、他人の成功に対して悪い意味で敏感(嫉妬?劣等感?)であり、内的な均衡を保つために優越感を持とうとする性向がある。この心理は、自己を相対的に評価する集団主義的な文化から来ているのだろう。他者への嫉妬が努力の動機づけになることもあるが、同時に、過剰な競争や足の引っ張り合い、意地悪を生む要因にもなる。

新参者に意地悪
日本社会は、新参者に対してとりわけ厳しい。地域社会や職場など、あらゆる階層で新参者に対する意地悪が横行している。これは、もしかしたら、秩序維持のための防衛反応であると同時に、集団における信頼関係を構築するための試金石ともいえるかもしれない。しかし、これが過剰に働くと、外部からの新しい視点や才能を拒絶する排他的な社会になるリスクも孕んでいる。

偽善的な倫理観に毒されやすい
日本人は偽善が大好きである。「かわいそう」や「気の毒」や「差別はいけない」が特に好きである。だから日本社会には、偽善的な倫理観に毒されやすい。弱者や少数者を守る姿勢を見せることが称賛される一方で、それがマスコミや政治家などの「世間様」の上位に君臨する者たちの道具として利用されることが少なくない。こうした人々は、しばしば正義や善意を掲げて世間の空気感や論調を形成し、それを通じて世事を支配する。

しかし、これらの「正義の味方」を自称する人々の主張や行動が、必ずしも論理的合理的な結論に基づくわけではない。むしろ、その場の空気や感情が重視され、冷静な判断が蔑ろにされるケースが多い。結果として、弱者を守るはずの取り組みが逆に新たな不公平や問題を生み出したり、少数者への偏見を助長したりすることさえある。このような傾向が社会に蔓延すると、真の問題解決から遠ざかり、単なるパフォーマンスが称賛される危うい構造を助長してしまうのだ。

まとめると…
日本社会に生きるということは、こうした社会の「暗黙のルール」を読み取りながら適応することだ。顰蹙、不謹慎、世間様、迷惑、嫉妬、新参者への厳しさ、そして偽善的な倫理観——これらは、日本社会に埋め込まれたややダークなコードに思える。量産型日本人としてて約60年生きた私には、もはやこれはこれで住みやすい環境と言えるのだが、このコードを読み解くに至っていない若者や、外国人には、日本は排他的で嫌な国だと思うかも知れない。そんな危惧を抱いている。

今回は以上。

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