HONDAと日産が経営統合むかって協議を始めるという。栄枯盛衰は人の世のならいだが、いざ具体的な事象として目の当たりにすると、なんとも不思議な寂しさに近い感情が胸をよぎる。
HONDAは理屈コネ太郎にとっては縁の薄いメーカーで、4輪も2輪も、欲しいと思った商品が殆ど…というか、まったくないメーカーなのだ。埼玉のWhite Houseという会社がRC42のCB750をカスタムして完成車として販売した、CB750Cafeというバイクを持っているが、それはHONDAだからではなくて、そのバイクの佇まいに惚れたからであり、ベース車がヤマハだったらなお最高なのにな…くらいに理屈コネ太郎は思っている。
むかーしむかし、初代のプレリュードの中古に乗っていた事があるが、あまり印象に残っていない。
CVCCやVTECはおそらく歴史的に凄い技術なのだろうが、優秀なエンジンを開発する会社なのだろうなあ~という印象だ。
因みに、愛艇(詳細はココをクリック)のエンジンはホンダ製だが、これも私が積極的に選んだわけではなく、艇を売っている会社がパッケージとして売っていた船にたまたまホンダが積まれていた…というだけ。もし私に選択権があったなら、ヤマハのエンジンにしたと思う。
HONDA側のマーケティング論理を想像するに、要は理屈コネ太郎は彼らのターゲット群に入っていないだけなのだろう。FFであること、車内の装飾や車体の外観、クルマのサイズ感、すべて理屈コネ太郎じゃないボリュームをターゲットにしてクルマやバイクを作っているのだろう。縁が超薄いとしか言いようがない。
翻って日産は、購入までは踏み切れなかったけれど、欲しいなあと思わせるクルマをチョロチョロと市場に出してくれるメーカーであった。ATTESAを積んだブルーバードはその端正な外観と後輪駆動由来の四輪駆動というメカニズムにおおいに魅力を感じたものだ。
HONDAのNSXも、日産のGTRも、理屈コネ太郎には過剰に凄いので、まったく食指が動かなかった。
しかし、日産もホンダも、理屈コネ太郎が歩いて来たクルマ街道のあちらこちらに、存在感を示してくれた会社であった。
両者が経営統合して、日産やホンダというブランドがなくなったら、これから私が歩くクルマ街道の景色が変わってしまう。
日産とホンダが統合したあとの名称について、香港出身の周庭氏が上手い事を言っている。日産とホンダが統合して日本という名のブランドが出来るのでは…と。
もし彼女のウイットにとんだハナシ通りに日本というブランドのクルマが出来たら、たとえそれがフロントミッドシップFFのBEVであっても、購入しようと思っている理屈コネ太郎である。
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