いつもの道の途中にある量販店の店内をプラプラしていたら、OM-1という名のミラーレス一眼カメラが売られている事に気が付いた。
OM-1といえば、かつてオリンパスが生産していた高性能一眼レフ35ミリフィルムカメラと同じ名前である。
フィルムOM-1は1972年頃に発売されたオリンパスの最上位機種で、当時の一眼レフの常識を破る小型軽量でありながらの高性能ぶりが高い評価のカメラだった。
先発のニコンFやキャノンF-1に比べたら2/3位のサイズ感だった。
いやもう全然、小さくて、軽くて、キャノンに負けないくらい格好よかった。
確か、”外に持ち出せる高機能”カメラが開発コンセプトだったと思う。ニコンやキャノンの重くてゴツゴツしたカメラに辟易していた人達には大変に喜ばれたモデル。この点を今回のデジタルOM-1は確り継承しているか…と、ふと疑問に思った『理屈コネ太郎』。
1972年と言えば今(2022年11月)から50年前、『理屈コネ太郎』が齢七つ。半世紀の時を経て同じ名前の商品が現在のメカニズムで再構築されてシリーズ最上位機種として登場したってことらしい。
興味が湧き、手にとって観るとやたらと格好がいい。機体の手触りも大変に宜しい。
オリンパスのカメラはいつも格好が良かったが(かつてのキャノンも大変に格好良かった)、このデジタルOM-1もやたら格好がいい。たぶん同じイズムで開発されたからだろう。そしてフィルム時代と同様に軽量でコンパクトな事にも好感した。
最近のデジタル一眼はとても大きく、かつ重く、重火器めいている。気軽に持ち運ぶことも、複雑な操作を覚えるのも面倒くさそうなので興味を持てないでいた。
特にフルサイズのカメラ&レンズの巨躯と価格は『理屈コネ太郎』にとってはフィルム時代の中盤カメラのような尋常ならざる重たい存在感があり、かつてフィルム中盤カメラをほんの少し触った経験から、『理屈コネ太郎』のフィジカルではフルサイズ一眼&レンズを外に持ち出す気には全くならないと予想できるし、更にいえば画像処理構築技術が発達した今日では生活の記録としての写真ならマイクロフォーサーズで全然オッケーじゃね?って気もしていた。
だって実際、殆どの生活記録写真撮影の場合にはスマホ搭載のカメラで間に合ってしまうし。パソコンでチョイと拡大してブログにのっけるくらいなら無問題だ。
要するにフィルム時代の110フィルムとはハナシが違うってこと。
フィルムも撮像センサーもサイズが大きい方が記録できる情報量が増える一方、そのサイズを生かすためにカメラやレンズも大きく重くならざるを得ない。
情報量とサイズの天秤の中で、かつての110フィルムの性能ではたとえ小型軽量高機動であっても高度な撮影システムを構築する合理性も、それを求めるニーズも極めて小さかった。110フィルムの性能では日常の記録写真にも物足りなかったのだと思う。
110サイズ由来の高い機動性は、フィルムサイズ由来の描写力の低さをカバーできなかったのだ。
フォーサーズサイズの画素数は約2000万画素。仮に画面を正方形とすれば一辺約4400画素である。一辺50センチに引き伸ばしても0.1㎜が1画素分となる。
人間の肉眼分解能は約0.1㎜と言われているので、フォーサーズ撮像センサーでも50センチ四方のサイズまでなら見た目で荒れた画像にならないって事になる。
トリミングとかで画像を切り出しても、たぶん20センチ四方くらいの画像までなら問題なさそう。
作品を作り込むのではなく、日常生活を都合よく切り取って記録する道具としては、デジタルOM-1は機動性&拡張性&信頼性&性能の全てにオッケイな感じがしたので、数時間カフェでお金についてあーだこーだと計算をした末に購入に踏み切った。
OM-1と一緒に購入したレンズは40㎜(35㎜版換算で80㎜相当)F1.2の中望遠レンズ。
因みに『理屈コネ太郎』はどんなに良いカメラやレンズを使ってもダサい写真しか撮れない人物だという事を、ここに明記させて戴きたい。
なぜなら私は撮れた写真に興味は殆どなくて、写真機をアレコレ理屈をコネながら操作する事に興味があるに過ぎないからである。
そのように写真機を操作した結果として写真が撮れてしまうって感じなのだ。
その撮れてしまった写真こそが、私にとっての日常生活の記録なのである。
たぶん『理屈コネ太郎』は写真機の、外観、手触り、匂いが好きなのだ。これ、ご理解戴ける方は少なくないと信じている。
で今回は、とにかくデジタル一眼を弄って遊ぶ事が生活の一部に取り込まれたってハナシでした。
以上。
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