Sex And The City Season2 濃くて長くて知恵いっぱいのドラマ

Mr.Bigとの別れから1か月後から始まるSeason2。ドラマの完成度、切れ味のいいセリフに、攻撃的だがホロリと優しい人物描写にますます磨きがかかって帰ってきた。(当Site内『Season1』を参照

キャリーとMr.Bigの恋愛の展開はますます込み入ってきて、大人の世界観の衝突の様相を呈している。

S2第1話 男と女の別れのルール
キャリーはMr.Bigとの別れからまだ完全には立ち直れていない。

狭いマンハッタン、いつ元カレと遭遇するかわからない場所で、キャリーはMr.Bigと遭遇しても大丈夫なようにふるまっていた。しかし実際に再会してしまうと、キャリーの心は千々に乱れてしまった。

そんなとき彼女が助けを求めたのは、ミランダであった。気持ちの通じ合った女友達のおかげで慰められるキャリーであった。

S2第2話 恋愛における禁句
キャリーの誕生日にMr.Bigからバースデイプレゼントが届いた。その真意を探るため、キャリーは女友達に相談するが結論は出ない。

バースデイプレゼントのお礼にかこつけて、Mr.Bigの真意を探ろうとキャリーは彼に電話をかける。一通りの挨拶のあと、ついキャリーはMr.Bigを誕生会に誘ってしまう。そして、誕生会に現れたMr.Big. Mr.Bigが車で帰るのを見送ったキャリーは、まだ彼を忘れられないと悟る。

S2第3話 男はみんなかわりもの?
人が誰しも持つ異常性・変態性についての回。キャリーもこれまでの恋愛のトラウマか、男性を素直に受容できなくなってしまっている自分に気付く。

キャリーとMr.Bigとの関係については一切なにも出てこない回。

S2第4話 素晴らしき独身貴族
キャリーが雑誌の表紙に乗るが、それは悪意あり酷い顔の写真だった。サマンサも、シャーロットも、ミランダもそれぞれの独身生活の蹉跌をそれなりに味わうが、しかしそれも受容して生きる4人。

今回もMr.Big登場せず。

S2第5話 恋愛で人生を取り戻す!
サマンサ、シャーロット、ミランダと恋愛や経済生活がうまく行かないなか、Mr.Bigとキャリーはなんとなくヨリを戻す。

キャリーとMr.Bigは過去の別れについて互いを責めることなく、ただ自然と成り行きでヨリを戻す。2人は相性がピッタリなのだ。

ただしMr.Bigの、詳細は語られていない過去の真実の愛の喪失経験に加えて、前妻との離婚時のゴタゴタに懲りて2度と結婚したくないという想いと、キャリーの自分がMr.Bigの運命の人でありたいという願望が共存する事は、今も不可能に思われる。

しかし2人は一旦そこは棚上げして、仲直りする事にしたらしい。

S2第6話 浮気の定義
キャリーはMr.Bigとヨリを戻したことを3人の友人に告げる。

皆、一様に反対の立場を表明するが、しかしキャリーは迷いつつもMr.Bigとの関係を続けていくことにする。

この回の終盤、2人はダンスを踊りながら、なぜ2人が分かれたかを話しあう。キャリーはMr.Bigが彼女の求める言葉を言ってくれなかったからと言うが、Bigはそれだけかい?とキャリーの気持ちを解さない様子。

だが、2人のダンスは幸せそうだ。

S2第7話 ひとめぼれで電撃結婚
ミランダの男友達がミランダの部屋の室内装飾を担当した女性とひとめぼれで結婚することになった。その結婚式にまつわる小さな事々でキャリーとMr.Bigの価値観の相違が表出する。が、取りあえず2人は仲良く式場から帰る。

この回、花嫁が有頂天で投げるブーケが4人組の前で床に落ちる場面が猛毒。日本の地上波では放送できない猛毒。

S2第8話 男と女のおとぎ話
この回には面白い人や物や概念が登場する。

まず、まだ若いドナルド・トランプ、キャリーの携帯電話、将来ミランダの伴侶となるスティーヴ、彼が指摘するミランダの男性への憎悪、そしてキャリーを失望させない素直なMr.Big。

このシーズンの放送されたのは1999年7月。トランプは1946年生まれだから、当時53歳だった。

そして、サマンサとキャリーの間で、何歳までの男とだったら付き合えるかみたいな会話があり、その中でキャリーは明確に50歳と言っている。

ああ、もう今の『理屈コネ太郎』は30代女性のスコープには入らないのだと納得した。

S2第9話 女はそれを我慢できない
キャリーとBigは近しい関係になっていくが、それまでは美点と思えていた行動や思考が欠点に思えてくる時期を迎え始めていた。

キャリーのBigもそれぞれの社会で通用している大人なので、互いの欠点は価値観というか世界観の相違と言ってもいいくらい譲れない相違だったりする。

しかし2人とも大人だ、一旦は冷静な話し合いで和解を試みる事で落着する。2人とも、すくなくともキャリーは話し合いと交渉で2人の問題は解決できると考えている。

しかし『理屈コネ太郎』的には、恋愛関係における交渉は最終的には所与の前提の相違で大抵は破綻する。

ビジネスならば、それが利益に繋がると思えば徹底的に細部にわたって交渉を詰めていくが、恋愛はハートなので、交渉という作業には馴染まない。

交渉の労力に見合うアウトカムが、ロマンスには存在しないのだ。

交渉でうまく関係を構築できる相手なら、その相手との関係は恋愛でなくたって構わないはずだ。家政婦やパトロンや愛人でよいのだ。

恋愛には交渉による交換条件提示ではなく、受容が鍵なのだ。

一方ミランダは、スティーヴと自分との違いを理屈や交渉ではなく、心理的な成長で受容する。

S2第10話 愛は階級の差を超える?
キャリーはBigにI love you.を伝えるが、彼は聞こえないふりをして答えない。そこがキャリーをイラつかせる。

S1E1で明示されたように、キャリーはロマンティックラブの女性だ。彼女の、いや米国の文化では、I love youは単に愛しているという意味ではない。

I love you は、結婚も視野に入れつつお互いに他の異性と性的関係を持ちませんって感じの、けっこうガチな告白だ。むしろ、宣言に近い。

Mr.BigにI love you と宣言した以上、キャリーも同じ宣言をBigにしてもらわないと格好がつかない。

だがMr.Bigはこれまでの経験上、I love youと宣言した結果としての辛い想い出が沢山あるのだろう。詳細不明な彼の過去の本当の愛、そして前妻との離婚の際のイザコザなど。

そうした諸々が彼の脳裏に想起され、I love you はヤバイ文章としてMr.Bigに認識されているのだ。

だがMr.Bigには最終的にキャリーにI love you を宣言する。それはキャリーのなだめるための方便などではなく、彼の本当の気持ちなのだ。ただ、それを言葉にする事がこれまでの経験から恐ろしいのだ。

この回でMr.Bigの美点が1つみつかった。それは、彼がキャリーを信じているということ。

パーティー主催のマダムがキャリーの行動についてあらぬ嫌疑をMr.Bigにチクッても、彼はキャリーを信じているので問いただしたりしない。ただ、自分に恥をかかせるなと言っただけだ。

ところで男女を問わず、交際相手の友人のサークルに自分が入っていくとき、交際相手に恥をかかせないように行動するのは大人なら当たり前だろう。

しかしこれがなかなかに困難だ。大人というものは、それぞれの世界で通用している自分に自負がある。自分の行動が交際相手の友人達に不興を買うなどとは夢にも思わないし、不興を買った場合は相手の理解が間違っていると主張したり、交際相手を責めたりする。

キャリーとBigは互いにI love youと宣言した。しかし、互いを受容しているとは言い難い心理状態である。まだまだ波乱がありそうだ。

一方、今回のタイトルになっている階級の差とは、主にミランダとスティーヴの関係においてである。

スティーヴの男の小さな矜持と、ミランダの受容と合理的思考のせめぎ合いの描写が素晴らしい回である。この回でスティーヴとは一旦別れることになってしまう。

S2第11話 恋愛の進化形
キャリーはBigの部屋に自分のドライヤーやらアレやコレやを置きたいと思っている。女性は色々と道具が必要なのだ。

しかしBigはそれを好まない。キャリーはBig宅の洗面台の引出に自分達2人のポートレイトが置いてあるのを発見し、Bigの考えを受容して、自分のアレやコレやBig宅に置く事を諦める。

S2第12話 男を求めるは究極の痛み
この回はキャリーとBigの世界観が激しく衝突する回だ。キャリーは妥協しようと努力はするが、そればBigが求めるものではないので、キャリーの努力は報われない。

S1E1でBigが示唆したように、キャリーは本物の愛の未経験者だ。そして恐らくBigは本物の愛の喪失経験者だ。

その2人が、いままさに2人の関係が本物の愛に発展するかもしれない時、異なる視点から異なる合理性で異なる態度を取り、それを互いに受容できないのはどうしようもない現象なのだ。

キャリーはBigとの別離を決意する。そしてそれをキャリーは、Bigからの束縛から自分を解放すると表現した。

この回の原題は la douleur exquise! 。直訳すると”絶妙な痛み”という意味のフランス語だが米国文学的には「愛する人に愛されない苦しみ」みたいな感じらしい。

キャリーの視点からは、自分が愛するほどBigは自分を愛してくれない…と見えるのだろうが、Big的には同じくらいキャリーを愛しても経験上踏み越えては一線が見えるのだ。

だが、本物の愛とその喪失経験を知らないキャリーには、Bigが恐れている一線が分からないのだ。

そしてBigは男性だ。キャリーが理解できるように説明する術を持たない。

S2E10においてミランダとスティーヴがそうであったように、キャリーとBigは両者ともに自分の世界に固執して分かれを選んでしまう。

S2第13話 かけひきは恋の必勝法?
グロリア・ゲイナーの”I will survive”をBGMにが愛の喪失の苦痛( まさにla douleur exquise!)の中でキャリーがもがく姿を描く回。

S2第14話 恋のパターンは繰り返す
前回ほどではないがまだキャリーがもがいている回

S2第15話 恋人のファミリー
色々とトライするが、まだBig以上の相手を見つけられないキャリー。

S2第16話 セックスの採点表
キャリーも次第に自分のペースを取り戻しつつある。4人組との仲はいつも通りだが、キャリーが新しく知り合う男達の質がまともな方向に向かっている。

S2第17話 若い女の特権
キャリーの愛の喪失体験からのもがきも次第に落ち着かい、出会う男の質も上がってきた。

キャリーの心の傷がどうにかふさがり始めたころ、パーティー会場でパリに居るはずのBigが若い女性と楽しそうに会話しているのを目的する。

二言三言、キャリーはBigと会話をするが、Bigからパリでの仕事がキャンセルになったこと、帰国の電話がなかったこと、そして今、Bigは別の女性と楽しそうに会話をしていた事。どうやらその若い女性はBigの婚約者であることも知った。

傷ついたキャリーはビーチまで走り、そこで悲しみと不信感のあまり吐いてしまう。そこに助けてくるのはいつもの如くミランダ。

サマンサは男と言う生き物の見限っていて、恋愛感情とはかけ離れたセックスだけの男性関係に生きる人物。

シャーロットは現実離れした恋愛理想論を男に押し付けては失恋を重ねる人物。

サマンサもシャーロットも、キャリーの一番愛しているひとに一番愛されたいという、素朴な願望を理解できない。多分もっともキャリーに近い感性を持っているのはミランダだろう。

キャリーとBigのややこしい関係はこれから続いていきそうだ。

S2第18話 別れてもお供達?
この回でミランダとスティーヴはヨリを戻す。

ドラマでは描かれていないが、キャリーと離れている間には、BigにはBigの成り行きと展開があったのだ。Bigはキャリーを失い、パリで新しい女性と出会う。

その女性は恐らく、キャリーほど攻撃的ではなく、キャリーほど優れた文才や感性の持ち主ではないだろう。

しかしBigはキャリーに犯した間違いを繰り返してその女性を失いたくない程にその女性を愛してていたのだ。

だがBigは、間違いなくキャリーを愛していたし、そう宣言もした。BigにはBigのビジネスがあり、世界があり、他者と結んだ約束があり、夢がある。

その殆どは、キャリーがBigの人生に現れる前から存在していた事柄が殆どなのだ。キャリーが彼の生活に参加したからと言って、それらの約束を反故には出来ない。

そしてBigは過去に本当の愛を知り、それを喪失した経験を持つ中年の男だ。

キャリーの直向きな気持ちはたとえ幼稚な攻撃的行動で示されていてもBigには理解できた。キャリーの、一番好きな男性に一番愛される女性でいたいという願望だって理解できた筈だ。

この回の終盤近く、4人組がバーで飲みながら喋っていると、Bigがキャリーではなく、恐らくキャリーよりは素直な若い女性を結婚相手に選んだ理由として”ハベル”が挙げられた。

ハベルとは『追憶』(←Wikipedia当該頁を開く)という1973年製の米国映画の主人公で、その主題歌”The Way We Were”をバーブラ・ストライザンドが歌い世界的なヒットとなった。

因みに、サマンサはこの映画を見た事ないという。これもサマンサの生き方を表現していて面白いエピソードだ。

映画追憶では、ロバート・レッドフォード演ずる上流階級出身のハベルと、労働者階級の社会活動家ケイティーの出会いと結婚、そして離婚して、最後に再会し簡単な会話を交わすシーンで終わる。

2人は愛し合い(おそらくは尊敬し続ける)のだが、ハベルはケイティーの活動家としての生き方を受容できなかった。そしてケイティーと離婚する事になる。

この回の終盤、Bigの婚約パーティーが終わってBigがホテルの外に出て車に乗り込もうとするとき、そばにキャリーが立っていることに気付く。

Bigは既に車内にいる婚約者に断ってから、キャリーに近づき立ち話をする。そのとき、キャリーは何故自分ではダメだったのかと、ド直球でBigに尋ねる。

Bigは「私も頑固だが、君もそのなんていうのか……」みたいな感じの回答をする。キャリーはそれを聞き、自分がBigの心の中に入れなかったのではなく、自分がBigを自分の心の中に入れなかったのだと考える。

このシーンは完全に、映画追憶の最後のシーンをオマージュしている。未確認で恐縮だが、もしかしたら同じ場所かも知れない。今度チャックしておく。

映画「追憶」の中でケイティーもハベルも別れた事を後悔していなかった。ケイティーはハベルが受容しなかった社会活動を継続し、ハベルもそうしたように、ケイティーも新しい家族を作り幸せに生活をしているのだ。

お互いに愛を抱きつつ、それでも違う道をすすむハベルとケイティー。

同様に、互いに愛を抱きつつ、それでも違う道をすすむBigとキャリー。

2人の今後や如何に!

これにてSeason 2のおしまいで御座います。

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