理屈コネ太郎が愛してやまない海外ドラマ、Sex And The City。メチャクチャ面白くて、かつ人間心理に大胆に切り込んだ、そして切れ味鋭い主人公のモノローグ。
心情的には単なる1人のファンに過ぎないが、私は万事に理屈をコネるのが趣味だ。この濃くて長くて知恵いっぱいの大物ドラマをコネてみたい。
詳細はWikipediaの当該頁を観て欲しいが、1998~2004年にかけて6シーズンと2本の劇場公開映画で構成される長編ドラマ。
物語の軸は、主人公キャリー・ブラッドショーの恋愛遍歴と彼女の3人の友人とのドタバタである。
このドラマを正確に観ていない人は、チャラついた貞操観念の低いオバチャン姉チャン達の浮かれた恋愛ドラマと解釈しがちだが、SATCはさにあらず。
このドラマは、もっと奥深く、広く、そして高い内容を持っている。人生の教科書と呼んでも良いくらいのクオリティーがある。
それはもしかしたら、ちゃんと観た人にしかわからないにかもしれないけど。
そこで、ちゃんと観ていない人のために、Sex And The Cityのどういう所が人生のテキストたり得るのかを理解してもらうため、理屈コネ太郎的にシーズン1の全話のアラスジを述べようと思う。
S1第1話 Sex And The City
主人公とその3人の友人達と舞台設定を紹介する回。
この回の見どころは、主人公キャリーが過去にヤリ逃げされた男をヤリ逃げし返した筈なのに、その男にキャリーの行為をsex without commitment と逆に喜ばれてしまい、キャリーが一瞬表情に影を宿す場面と、最後に別の男、Mr.Bigに「君はまだ本当の愛をしらない」と指摘されてたじろぐと場面。
この直後、キャリーはMr.Bigに「あなたは本当の愛をしっているの?」と尋ねる。Mr.Bigは Abso-fuckin’-lutely と下品な言葉で回答する。
この瞬間、キャリーは自分が本気で愛した誰かに本気で愛された事のない女なのだと自覚する。
Mr.Bigに呪文をかけられたようなものか。あるいは、Mr.Bigによって本来の願望を浮き彫りにされたのか。
マンハッタンでスレた生活を謳歌している筈のキャリーだが、実は無自覚・無意識にもっと誠実な何かを求めている事が描写されている。
理屈コネ太郎的には、この第1話は大切な2点を明示していると思う。第1に、Mr,Bigは過去に真実の愛を経験した事がある点。第2にキャリーはロマンチックラブの人である点。(ロマンチックラブについてはWikipedia当該頁を参照されたい)
ロマンチックラブとは、極論すると、恋愛・性行為・結婚の3つをただ1人の異性(最近は同性もあり)に求める事。その相手を「運命の人」と言ったりもする。
本作の主人公キャリー・ブラッドショーの男性遍歴は、この運命の人探しなのではないか…と、理屈コネ太郎は思っている。
とはいえ、世の男性はsex without commitment を求めているので、キャリーの運命の人探しは困難を極める事になる。
と、そんな事を予感させる第1話。
ところで、Sex And The City を紹介する文章には必ずといっていいほど「恋愛至上主義」(←Wikipedia当該頁を開く)なる言葉が付されている。
この恋愛至上主義とロマンティックラブは全く異なる概念である上に、理屈コネ太郎がSeason 1を見た限りでは、どこにも恋愛至上主義なる字幕も、それに相当する英語Love Supremacismも出てこなかった。
勿論、理屈コネ太郎の見逃しかも知れないが。
「恋愛至上主義者」は、日本のメディアが宣伝目的に勝手に付けたのではないか…と理屈コネ太郎は疑っている。
なによりキャリーは恋愛を至上なものだなどと考えていない事は彼女の生活態度を見れば自明である。
彼女はただ、最も愛する男性から最も愛されたい。そしてそういう相手とは正式に付き合いたいと願っているだけだ。
S1第2話 モデルにはまる男達
モデルだけと寝たがる男達を取材するキャリー。悪趣味な人々が出て来る。
Mr.Bigもモデルを連れ歩いていて、キャリーは惨めさを味わうが、後日、Mr.Bigから「一緒にいて楽しい人がいい」などと言われて喜んでしまう。
S1第3話 シングルでなぜ悪い!?
既婚女性の独身女性への敵対感情がテーマ。この敵対感情の原因には既婚男性の愚かな行動が原因と示唆する場面があって興味深い。
S1第4話 20代の男との情事
キャリーやサマンサが20代の男達と関係を持つが結局ウンザリする…そんな回ではあるが、キャリーとMr.Bigの関係がなかなか困難なものになる事を暗示する回でもある。
この回では、第1話でMr.Bigがキャリーに答えた特徴的な下品な言い回し Abso-funckin’-lutely を、キャリーがMr.Bigに向けて放つ。
キャリーの気性の強さが窺い知れるが、同時に、キャリーにとってMr.Bigの言葉、あの呪文をかけられた言葉が特別である事も示唆しているように理屈コネ太郎には思える。キャリー、可愛いじゃん…って思った。
S1第5話 女の魅力こそが武器
Sex And The City(SATC)の大筋に影響のあるエピソードは出てこないが、SATCの魅力である絶妙な下品さが発揮された回。
S1第6話 秘密の関係
キャリーがMr.Bigと外出すると聞いて、仲良し3人組がキャリーの部屋に押し掛ける。その際のサマンサとシャーロットの発言に、Victorianという単語が出てくる。理屈コネ太郎はVictorianismは米国の社会を理解するキーワードだと思っている。(Wiki日本語版参照、 Wiki英語版参照)
さて、この回でいよいよキャリーがMr.Bigと関係を持つが、キャリーはMr.Bigの行動から、彼にとって自分が友人に紹介したくない女なのかも…と疑う。
過去にMr.Bigが本気で愛した女性のポジションよりも低いところに自分は位置づけられているのかとの疑念が背景となって(これ理屈コネ太郎の解釈)、Mr.Bigに喧嘩腰にくってかかるが、Mr.Bigからこれまでの行動の説明をうけて納得する。
S1第7話 一夫一婦制の現実
キャリーはMr.Bigに夢中になり、親友3人とも疎遠になるほど。しかしMr.Bigはキャリーだけとデートしているわけではなかった。Mr,Bigと真剣な交際を望んでいるのに、彼から「僕に何を望むんだい」と尋ねられれしまう。しかし、1話完結モノなので、一応最後に2人は仲直りをした感じにななる。
S1第8話 3人でエクスタシー
性行為としての3Pに絡ませて、Mr.Bigと彼の前妻と自分との関係性にキャリーが思い悩む回。
興味深いのは、Mr.Bigの前妻が彼の真実の愛(S1E1に出て来る)の相手だったかどうかにキャリーが疑問を持たなかった事。この回の終盤で前妻が退場する場面が戯曲風に描かれているので、キャリー的には前妻をそれ程の存在だと認識しなかったのだろう。
S1第9話 マンハッタンの結婚観
この回で、Mr.Bigが何気なく「離婚したときは大変だったから、もう2度と結婚しない」と発言し、それにキャリーは傷つく。
キャリーは友人宅で沢山の家族の肖像写真を見て、自分も家族が持ちたいのだと思う。
そして、Mr.Bigに結婚する気のない相手とは付き合えない旨を伝えるが、なんとなく雰囲気が穏やかなままこの回は終了する。
S1第10話 母親は究極のカルト
この回は凄い。脚本家?編集者?の能力がハンパない。
物語はある女性からBaby Shower(←Wikipediaの当該頁参照されたい)の招待状が4人組に届くところから展開する。かつてサマンサとパーティー女王の座を巡り張り合っていた女性だ。
4人はそもそもその女性に好意を抱いていなかったが、とにもかくにもBaby Showerに行く事にする。
一方、キャリーには最近ある問題が発生していた。
嫌な女が妊婦になり偽善に満ちた祝福を浴びていても、実は彼女自身も自分の立場の変化に戸惑う1人の人間であったり、キャリーが抱える問題であったり、女性という生き物はかくも大変なのか…とオトコ理屈コネ太郎は考えさせられた。
この回の終盤、モノローグのなかキャリーが公園から自宅へと歩く姿と表情がなんとも素晴らしい。
S1第11話 回数は恋のバロメーター
キャリーはMr.Bigの前で恥ずかしいミスをしてしまう。そのせいで暫くMr.Bigが自分を求めなくなったのだと思い込んだキャリーは色々と試行錯誤をするが、結局2人は元の鞘に。
S1第12話 愛と信仰の新しいカタチ
原題は oh come all ye faithful 。「神の御子は今宵しも」という名の讃美歌である。(YouTube当該動画を開く)
キャリーはMr.Bigを愛している。キャリーにとってMr.Bigが運命の人(劇中ではThe One)。しかし、Mr.Bigにとってキャリーが運命の人であると、キャリーには確信が持てなかった。なぜなら、Mr.Bigがそう言明しないから。
S1第1話で、Mr.Bigが過去に本当の愛を体験したこと、そしてキャリーが運命の人を求めるロマンチックラブの人である事が示されたのを覚えているだろうか。
以前から決まっていた2人で旅行に出かける当日、キャリーは、「お願い、私を運命の人だと言って」とMr.Bigに請う。「その確信がもてなければ旅行には行けない」と。しかし、Mr.Bigはその願いには答えず、それが言えなければこれで終わりなのかかい?と問い、否定しないキャリーの前から立ち去ってしまう。
さて、以上はSex And The City Season 1の12 episodesだ。
オトコ理屈コネ太郎はどちらかというとMr.Bigの立場でこのドラマを観ている。彼は第1話で明示されたように、過去に真実の愛と出会い、そして現状を見るにその愛を既に失っている。
そのプロセスは彼の精神に相当な苦痛をもたらした筈だ。だから彼は本気にならない、気軽な恋を楽しんでいた。
そこにキャリー登場である。キャリーは話して楽しい相手であり、洞察力に優れ、知的で文学の素養があり、自分の力で生活する能力を持っている。若干攻撃的な性格ではあるが、なによりキャリーはチャーミングだ。
そんなキャリーを前にしてMr.Bigは次第に遊び相手としてキャリーを見られなくなる。もっと強い感情をキャリーに感じるようになる。
だからMr.Bigにとって、キャリーを”The One”あるいは運命の人と認めることは、過去の失敗から恐ろしい事なのだ。
その恐怖ゆえ、Mr.Bigは旅行出発の当日に、キャリーの願いを聞き入れずに逃げたのだ。
この逃げ癖は、映画版Sex And The Cityでも如何なく発揮されている。あの映画で、Mr.Bigは結婚式をバックれるという超クソ野郎な行動を取っているのだ。
せめてもの救いは、Mr.Bigはキャリーに嘘をつかなかった事だ。
Sex And The City はMr.Big側の視点では、過去の本物の愛を失った苦痛を超えて、キャリーという女性に向かってMr.Bigが再生していく物語なのだと思う。
今回は以上。
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