YouTubeは関心励起装置として全然オッケー。

情報プラットフォームとして大きなポジションを締め始めたYouTube。『理屈コネ太郎』的なYouTubeを使った情報収集や学習について理屈をコネる。

YouTubeには多様な人が多様な情報を分かり易くキャッチーな動画にまとめて投稿している。

『理屈コネ太郎』は往復3時間のクルマ通勤をしているので、この時間をどう有効に活用するかをずっと考えている。

そんな『理屈コネ太郎』が現在ハマッているのが、YouTubeだ。特に、中田敦彦(YouTubeを開く)イケハヤ(YouTubeを開く)のコンテンツは画像を見ずに耳で聞くだけで面白いので活用しまくっている。

勿論、他にも優れたコンテンツがあるかも知れないし、これからも出現し続ける事は間違いない。その時はYouTubeではなくて、他の何かに替わっているかもしれない。

自分が一旦消化した情報をサクッとまとめて発信してくれる中田やイケハヤのコンテンツは、彼らより一回り以上年長の私にも、初耳な事や考えもしなかった内容が多数含まれている。

「え!?そうだったの???」って事がしょっちゅうある。

また多くのネット関係者が口を揃えていうように、従来のメディアはスポンサーを意識してか、あるいは自らの存在意義を賭けたポジション取りのせいか、とにかく偏向していて胡散臭い。

同じ記者会見でも、従来メディアが編集して出す情報と、ネット上に投稿された素の情報とでは、もう全く違う内容になっている。

発信されたシグナルの方向が全く逆向きなんて事はしょっちゅうだ。

従来メディアは表現・報道の自由(Wikipediaの当該頁を開く)の代償として、表現・報道の責任を全く引き受けていない。

多分…だけど、表現・報道の自由って言葉の中にある”自由” とは、権力の支配からの自由であって、道義的責任や社会通念上の責任からも自由って事ではないと思う。

なぜそのような編集をするのか…と、その動機や目的を逆算して推察すると、かなり怖い推定に辿りつく。

その点、インターネットの大海原には、対立する意見が数多くあって、両論併記どころではない。まさに全方位混在だ。

なので、情報の取捨選択は受け手側の責任なのだ。そこが素晴らしい。

今回は以上。

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