特に病気や事故に遭遇しなくても、人は必ず老いて死ぬが、現代の日本の平均寿命は80歳代なので、定期的に新しい事を始めないとどうしたって人生に飽きるという恐ろしい事態に直面してしまう。
加えて、年齢が上がってくると周囲の人々がいつまでも若いころと同じ行動を許してくれなくなる。
そこで、生き方を根本的にシフトチェンジして、上手に死ぬ事を視野にいれつつ日々の人生に飽きないように生活する…という考え方が必要になってくる。
このシフトチェンジ以降をセカンドライフと『理屈コネ太郎』は呼んでいる。
セカンドライフは何歳くらいから?…について考えるとき、セカンドライフとは何かという概念を整理しておくことが重要だろう。
本頁では、当サイト内の関連コンテンツで言及されるセカンドライフの概念について、『理屈コネ太郎』の管見による独断と偏見満載の私見を述べたい。
まず結論からのべよう。セカンドライフの始まりは、大体50歳~60歳くらいだと『理屈コネ太郎』は考えている。この年頃は、知識と経験の蓄積と社会的信用と経済力(こうした一切合財を本頁では生活者力と呼ぶことにしよう)が生理的衰退を補って余りある最後の時代だと思われるから。
要するに、人生において最高のパフォーマンスを発揮しえる時期が年齢でいえば50歳から60歳頃。
この時期からセカンドライフは始まると『理屈コネ太郎』は考えている。
その後、しばらくは生活者力向上で生理的衰退を補える時代。
これが巷間言われる老後の時代だろう。それまでに培った知恵と工夫で体力低下を補えるので、自立した日常生活を送る事が出来る。好きな時に外出できるので社会性も維持できる。
もし悠々自適なる生活が本当に可能だとしたら、この時代の事だろう。因みに、『理屈コネ太郎』は悠々自適なる生活は極めて難しいと考えているが、そのお話は別の機会で。
そして、生活者力の向上が鈍り、生理的衰退を補えなくなると、他者の助けがなくては日常生活を営めなくなる。ここらへんから自分の好きに行動が出来なくなり、家族の意向に行動が制限されるようになる。
さらに生活者力が低下に転ずると、生理的衰退の進み方に拍車がかかり、思考能力や判断能力が減退して、自力で起床や歩行が出来なくなり、やがて摂食行動すらも自力で出来なくなる。
すると外部から点滴や胃瘻などによって栄養補給を受けて、いずれごく限られた脳の活動と心拍と呼吸運動だけの状態になってしまう。
そして最終的には心拍が停止していわゆる死に至る。
セカンドライフとは、1人の人間が人生の中で最高のパフォーマンスを発揮しえる50〜60歳頃から始まって、それ以降死ぬまで継続するのだと考えるのが妥当だろう。
人生において最高のパフォーマンスを発揮できるのは長くて10年。短ければ数年。
この時期をセカンドライフの始まりと位置づけるのか、ファーストライフの最後と位置づけるのかは各人の好みで宜しいが、留意すべき点はセカンドライフにおいてはパフォーマンスの向上は期待できないという事だろう。
パフォーマンスの向上が期待できない自らのセカンドライフについて、パフォーマンス絶頂期に十分に考えて最善と思われる備えをしておくのが戦略的と『理屈コネ太郎』は考える。
もちろん計画通りには事態は展開しないだろうが、何も考えず行き当たりばったりに過ごすよりは遥かに人間らしいセカンドライフを過ごせる蓋然性は高い。
故に、人生最高パフォーマンスの時代をセカンドライフの始まりと位置づけている。
以上
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