トンデモクリニック勤務体験その(2)

『理屈コネ太郎』がこれまで実際に勤務した事がある、トンデモ医療機関をご紹介したい。

はじめに明らかにしておくと、本頁で紹介する医療機関がトンデモな理由は、医療実務の経験が全くない者達によって経営・運営される医療機関である事。この点を念頭において以下の文を読み進めて戴きたい。

実務経験がない事の何が問題なのかというと、関連する法律や明文化されたルール、あるいは医療業界の不文律や習慣や慣例を全くしらない事が問題である。

要するにやり方が分からないから、受診者が無駄な時間と労力と手間を払う事になるのだ。

本邦では法律で株式会社は医療機関を経営できないことになっているのだが、実質的に株式会社が経営する健診クリニックでの経験をお話ししたい。

なんというのか”脱法”の匂いのする興味深いお話。

その株式会社(以下KK)は架電営業力だけが自慢の会社で、売上を立てる能力は間違いなくある。そして興味深いことに、KKの社長(以下、医師社長)は医師免許を持っている。

KKの医師社長は医師免許を持ってはいるけれど、臨床研修は全くしていないので、法的にも技能的にも実際には患者を診療する資格ない。注射一本打てないし、処方箋1枚もかけない。

医師免許を持ってはいるが、医師としての診療行為は何一つ許されていないという、一般の医師から見れば臨床研修の厳しさに耐えられなくてドロップアウトしたのね…という存在だが、医療に詳しくない人にとっては医師免許を持った実業家なんて素敵!って感じかもしれない。

彼は医学生の頃からそもそも自分の会社の運営に多忙の身であり、事業家としてある程度の成功をおさめた立場である。

医療以外の事業で成功している医師社長が何故いまさら医業に乗り出したのか私にはわからない。

しかし、彼の考えている事はわかる。彼が描くスキームはこうだ。

まず、医師社長が個人の資金の体で既存の医療法人A(法人格のみ)を購入して、誰か医師社長の指示に従順に従うホンモノの医師を理事長に据える。そして健診クリニックA´を開業する。

健診クリニックA´開設後は、医師社長が普段から取引している企業(KKの架電営業力だけは確かに凄いので、多数の取引先会社を持っている)の健診を一手に引き受ける。

そうなると当然収益は右肩上がりでウハウハ、数年以内に第二クリニック、第三クリニックを開業してしまうって寸法であった。

医師社長自らが理事長に就任しないのは、医療法人運営管理指導要綱などで、医療法人と関係のある営利法人役員は当該医療法人の理事長に就任できない決まりだから。

だから、医療法人Aを活用して収益を上げようと目論む医師社長は理事長に就任できない。

理事長に就任できなければ医師社長は実権を握れない。これでは困る。

医師社長が理事長に就任せずに医療法人Aを実質的に支配するにはどうしたらいいのか。

この難問を医師社長は、KKや関連会社から子飼いの人員を医療法人Aと健診クリニックA´にスタッフとして送りこむことでクリアした。

医療法人Aと健診クリニックA´で実務するマネジメント担当者に自分の腹心たちを配置したのである。この事により自分の影響力を行使できると考えたのだ。

もちろん、こうした腹心達の給与は、最終的には彼らが本来所属する会社から支払われる。

医療法人Aや健診クリニックA´から支払らわれるケースもあるだろうが、その場合は医師社長が銀行から借り入れた資金だったりする。

医師社長は腹心たちの給与を握っているわけだ。またもともと医師社長の指示でマネジメント担当者になった人達だ、人事も握られている。

よって、かれら腹心達は医療法人Aの理事長や健診クリニックA´の院長より、給与と人事で縛られている元々の職場であるKKや医師社長に業務上の忠誠心を抱く。

かくして医療法人Aおよび健診クリニックA´は、法的に全く外部の存在である医師社長の支配下に置かれることになるのだ。

このプランのもと、彼らマネジメント担当者が健診クリニックA´に勤務する医師・看護師・検査技師・医療事務担当者などの人材と用品を手配し配置する。

私はそうして手配された医師の一人だった。

医師社長の腹心部下達が現場の人材・用品のマネジメントの一切を取り仕切るのだが、この腹心部下たちが本当に呆気にとられるほど実務能力が低く、また医療現場のカルチャーとは遠いところにいる人達だった。

彼らマネジメント担当者達は20代前半で、眉目秀麗かつ活動的で一見『出来る人達』風であったが、我々医療者が守るある種の枠組みを容易かつ無自覚に超える。

それは、法的には善管注意義務や信義則と呼ばれるような枠組み。みていて実に危なっかしい人達だった。

医師社長のスニーキーな手法は叩き上げ医療従事者にはなかなか思いつけない。

思いついても大っぴらには言えないだろう。医療法人の非営利性の理念を毀損すると思われかねない。(非営利というのは、決して収益をあげてはいけない…という意味ではない)

どこか法の眼をかいくぐるというか、脱法の匂いがするし。

私自身はこのスキームはスニーキーであるけれど、悪くはないと思った。

初めてこのスキームに気付いたとき、賢い!とさえ思った。しかし蓋をあけてみて吃驚仰天、この担当者達が社会人として、ビジネスパピープルとして、最低限の水準にも到達していなかったのだ。

基礎的なホウレンソウはできず、善管注意義務とか信義則とか、そういう言葉も概念も知らなかった。

約束の時間に遅れる、伝達事項は忘れる、必要書類は持ってこない、事実と異なる報告を平気で言う。現場で言った言わないの論争が絶えない。

彼らにとってビジネスとは相手を出し抜く事、ディスカッションとは相手を丸め込む事、報告とは自分の瑕疵を上長の眼からそらす方便。 ま、そんな人たちだった。

どういう理由か彼らマネジメント担当者と医師社長は、現場で働く我々医療従事者の助言に全く耳を貸さなかった。

マネジメント担当者のリーダー格が「医療業界の人間は資格があるから胡坐かいて怠けているんですよ」とも言っていた。

彼らは要するに医療重視者を怠け者だと思いこんでいたのだ。

そんなある日、現場視察に来た医師社長が手練れの放射線技師に「検査のクオリティーを落としてもいいから、もっと胃レントゲン検査の数をこなしてください」みたいな発言をした。

この医師社長の発想はまともな医療者にはありえない。

医療者は質と量の両立を目指すものなのだ。

何故なら、クオリティーを下げることは訴訟リスクを生むことになるので絶対に避けたい。

だが数をこなさなければ収益は上がらないのも良くわかっている。

だから質と量の両方上げなくてはならない。質と量のトレードオフはプロフェッショナルな医療者の発想にはないのだ。

医師社長は医学部在学中にビジネスの道を自身の進路に選んだ人のようで、医師を職業とするうえで法的義務である臨床研修を受けておらず、また保険医登録もしていない。

せっかく医学部出たんだし能力の証として医師免許は取得するけど、様々な理由で医師を職業として選ばない人は、昔からごく小数だが存在した。

大体は医学部在学中に垣間見た大学病院の過酷な研修医の実態を知って、怖気ついて医師の道に嫌気がさす場合。

あるいは医師以外の職業を選んだ方が自分はハッピーになれると考える人はそうした選択をするかも知れない。

1人の人間がピンのプロ医師として医療現場で活躍するには一定のプロセスを踏む必要がある。第一は医師免許の取得。第二は臨床技能の習得である。

第一の医師免許の取得までは、学生として、お金を払う顧客の立場として大学に遇される。

ある意味手取り足取りだ。

だって学費を納めてくれて、大学の評判を決定づけてくれる大切な存在なのだから。大学にとって医学部生は大切な顧客なのだ。

次の第二段階の臨床技能習得のプロセス、即ち修行の時期は一転して過酷だ。

それまでの学生という顧客の立場から、一転して従業員へと立場が転換する。

しかも属する組織の一番最下層に配置される一番スキルのない従業員だ。

この時期をどう生き抜くかは免許取り立ての若き医師達にとって昔から大きな頭痛の種だった。

この修行の時期が、どうして、どのように過酷かの説明はここではしない。ただ、過酷とだけ理解して欲しい。

この過酷な修行の時期を通過した医師とそうでない医師とでは、臨床技能に格段の違いがある。

勿論、修行した方が臨床技能は高くなる。

逆にいうと、結果として臨床技能において格段の違いが生じるからこそ、嫌々ながら多くの若き医師達がこの過酷な修行に若い貴重な時間をかけて挑むのだ。

健診クリニックにハナシをもどそう。そんなこんなで医療職は次々と退職して、創業時メンバーはあっという間にいなくなった。結局この医師社長は、予備校生時代からの友人が某大学外科の医局長クラスになったのを機に、そこから医師を配置してもらう手筈をつけた。

しかし、医師を派遣する側の大学医局は傲慢である。相当な要求をこの医師社長に飲ませたのだと思う。

丁度その頃、私も退職したので、その後そのクリニックがどうなったのかは分からない。まだ、第二クリニックは開かれていない。(その後しばらくして、医師社長の予備校時代の友人が大学を退職して第二クリニックを開いてもらったとの噂を少し前に耳にした)

それはそうだろう、大学外科医局から医師だけ配置されても、看護師、検査技師、事務職員、介護助手といった多数の職員がそれぞれの仕事をこなさなければ膨大な量のタスクフローが停滞してしまう。

医師社長腹心の部下達の業務クオリティーが私の知る当時のままなら、診療業務は遂行できないだろう。

それに健診クリニックA´で働く医師の殆どがこの健診クリニックA´の創業理念や医者社長の経営姿勢に共鳴しているとは思えない。

受診者だって、この医師に任せてみようって気にはならない。

今振り返れば、この健診クリニック開設に立ち会った事は良い経験になった。

組織には部署間や担当者間の信頼関係を毀損しない、上質な総務職や人事職が必要なのだと、本当の意味で理解できた。

今回は以上。

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