著者のバーバード・ブラウン博士は、心臓を専門とする臨床医でハーバード大学名誉教授であり、核戦争防止国際医師会議を代表してノーベル賞を受賞している。
この著書が著した『医師はなぜ治せないのか』はなかなか興味深い内容である。
重要だと思うので触れるが、本書の原著はBernard Lown, The Lost Art of Healingである。
本書の興味深い部分は、原著のタイトルによく表れている。art of healingがlostしてしまったのだ。
生物学理由で、病気を完治させられない理由はいくらでも列挙できるが、最重要なのは病気そのものがそもそも人間の自然史の一部だから、という視点だ。
生きていれば人は病気に罹るし、理由の如何によらず必ず死ぬ。
先達の努力の賜物で、たまたま少々の病気を私達は完治させる事が可能になっただけに過ぎない。
それでも、実に多くの人の人生に医療は貢献してきた。
医師はなぜ疾病を治せないのか‥という問いは時に、医師はなぜ死者を甦らせる事ができないのか‥という問いと本質的に同じだ。
因みに著者が専門とする心臓には悪性腫瘍はまず発生せず、治療すれば治癒可能な良性疾患が殆どだ。
『理屈コネ太郎』には、この著者が胆管癌や膵臓癌に代表される悪性腫瘍界隈に土地勘があるとは思えない。
大勢の高スキル医師が総がかりで取り組んでも、治らない病気は治せない。
誤解を避けるために付記すると、治療しないより治療したほうがかなり余命が伸ばせるケースは多い。
完治は無理な病気でも、治療することで余命が伸ばしたり、生活の質が向上させたりは出来る。
本書の内容はこうした人間自然史的事象とは異なる。もう少し、心理的な営みとしての治癒なのだ。原題のThe Lost Art of HealingのHealingに注目するとこの点に納得がいく。
Healとは、治癒とかの意味より、『癒し』という意味合いが強い。すくなくとも、原著タイトルでは、この意味合いでHealingを用いている。
本書は、医師が患者の視点、患者がのぞむのは治療だけではなく癒しでもあるのだ、との視点を気付かせてくれる本だ。