医者のプライドが高く見える理由③

医者のプライドが高く見える最大の理由は ”人々がプライドの高い医師を求めている” からではないか?というのが、『理屈コネ太郎』の仮説だ。

医者のプライドが実際には高くない事(詳細はココをクリック)と、にもかかわらず患者や一般の人達には医者のプライドが高く見える理由をこれまで書いてきた(詳細はココココをクリック)。

医師が主人公の映画やドラマでは、主人公たちはみな自身の技量と知識に自信を持っていた。そして行動規範にブレがなく融通が利かない。そう、一言で言えば、プライドが高かった。

世間は、医師という専門職に確かな技量と知識を期待している。そして小さな損得勘定を超えた信念に基づいた行動を期待している筈だ。

想像してみて欲しい、医療機関で出会ったあなたの担当医はいかにも自信なさげで、どこか”言い切る事”から逃避している、あなたが何か質問をしても解答をはぐらかしてしまう、そんなタイプの医師だとしよう。

或いは自身に哲学やイズムに自信がなく、プライドの低い医師だったとしよう。

あなたは、その医師を信頼する気になるだろうか?

そう、医師とは人からの信頼を引き受ける専門職なのだ。患者からの信頼を引き受けるうえで、知識と経験に裏打ちされた技術に自信を持ち、多少の金銭程度では揺らがない判断基準や価値観を持っていなくてはならない。これをプライドが高いと呼ばずしてなんと呼ぶべきだろう。

『理屈コネ太郎』は以前の記事で『医師のプライドはそんなに高くない』と書いた。これは本当の事だ。医学部教授が教授職の給料だけでは足りず、月に何度か外部の病院にアルバイトに行く時代なのだ。

山崎豊子の名作『白い巨塔』は20年位前から医療界の実情と合わなくなっている。だから、何度リメイクしても田宮次郎版には敵わないのだ。

だって、田宮次郎版の頃は、原作が持っていた時代性がまだまだ医療界に残っていたから。

話しを元にもどそう。ブラックジャックも自分の価値観を曲げないプライドの高い闇医者だった。

白い巨塔に登場する財前五郎とその盟友里見修二も自身の修練と経験に基づいた自身の判断基準を曲げなかった。

患者は医師に身体機能回復や、時に致命的疾病の治療を依頼する。その依頼相手がチャラくてペラッペラな人物で患者は納得するだろうか?

『理屈コネ太郎』は納得しないと思う。

医者のプライドが高い事を望んでいるのは、患者であり社会なのだ。

今回は以上。

当サイト内の他のコンテンツにご興味あれば下記よりどうぞ。。
人生のヒント一覧表! 人生はスイスイスイ!』へは”ココ”をクリック
当サイト内コンテンツのページ』へは”ココ”をクリック

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です