結論から言うと、”強がり”と”ポジティブ思考”の違いは、成長できるかどうか…だと『理屈コネ太郎』は思っている。
好ましからざる眼前の状況に対して強がるのは、カッコつけでしかなく、自分への言い訳であり、思考停止であり、成長に結びつかない。ゆえに強がりは無意味だ。
恋人に去られたとき、去った恋人の過去の小さな過ちをあげつらい、「所詮、あの人は自分に相応しくなかった」と考えるのは、強がりであり、カッコつけでしかなく、思考停止だ。
強がりは成長とは一切無縁の思考である。自分をどこにも導かない。
恋人に去られたとき、辛い事だけど、恋人が自分から去った理由を恋人の視点から考える。自分の思考や行動を他者の視点から考察する。
そうする事で自分が成長できる。これがポジティブ思考というものである。
眼前の状況を自分勝手に都合よく解釈するのは、賢明な人のする事ではない。
ときどき、ボトルに飲み物が半分残った状態を、「半分しか残っていない」と考えるのはネガティブで、「半分も残っている」と考えるのはポジティブである…みたいな言説に遭遇するが、これはポジティブ思考とは全く関係ない次元の例えに思われる。
前者は悲観的で、後者は楽観的であるというだけだ。思考停止なのは変わらない。で、どうした?…ってハナシ。
さて、成長とは何かについて少し『理屈コネ太郎』の考えを述べてみたい。
成長とは、出来なかった事が出来るようになること。
少し具体的にいうと、今日の自分には出来なかった事が明日の自分には出来るようになる事だ。
たとえば、社会や人間や自分についての受けられなかった所を受容できるようになること。
たとえば、超えられなかったハードルを越えられるようになること。
たとえば大嫌いな人物の美点を少しは見つけられるようになること。(大嫌いなままで全然OK)
そして成長の効果は、同じ失敗を繰り返さないという端的な事実として現出される。
そしてその成長を、年単位、10年単位で積み重ねていけば、とても大きな成長を達成できる。1人の人間の一生に、ポジティブ思考がどれだけ大きな違うを生むか想像していただきたい。
こうした成長に自らを導く考え方こそがポジティブ思考というものだ。
だから、ポジティブ思考は苦境でこそモノをいう。
恋人に去られたとき、後輩に仕事で抜かれたとき、自分に何かの能力が欠如していると思うとき。
こういう苦痛に溢れた局面で強がるのは宜しくない。強がってばかりいる人は、何度も同じ失敗を繰り返しがちだ。だって、成長していないから。
そういうわけだから、強がってばかりいる気の強い人は、黙々とポジティブに生きている人に追い抜かれていく事になる。
強がりとポジティブ思考の違い、少しはお分かりいただけただろうか。
今回は以上。
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