お金は大切だが、お金だけでは人は幸福になれない。特にセカンドライフではその傾向が顕著。本ページでは、十分な生活資金だけでは悠々自適生活は構築できない事を説明する。
まず、悠々自適とはどういう事かを整理しておこう。Weblio事典によれば「俗事に煩わされることなく自分の好きなように安らかに暮らすこと」とある。
今回はこの定義に従ってハナシをすすめようと思う。
悠々自適とはまず
①俗事に煩わされず、
②自分の好きなように行動して
③心安らかに生活する事
である。
以下はいつものように、本頁で述べる内容は全て『理屈コネ太郎』の管見内での独断と偏見に満ちた私見である。
生活資金に余裕があり、心身の機能もまだ充実していても、人間という生物は社会との関わりを持たずに生きることは極めて難しい。
①俗事に煩わされず…とは、他人との関係性を限定的にする事だ。
②自分の好きなように行動するというが、そもそも自分の好きな活動を見いだせている人なんて多くない。
③他人との関係性を限定的にした人が自分の好きな活動を見いだせないでいるとどういう事が起きるかというと、その人は極めて暇になる。退屈になる。暇で退屈なのは心安らかな状態とは全く違う心理状態だ。人間は暇だとロクな事を考えない。
暇な高齢者は、自分の体調不良を探し始める。体調不良を探し始めることで暇を埋めようとするのだろうか、あるいはそれしか考えるべき事を当面見出せないからか。
また暇は孤独とは別の概念だが、心の中で生じる現象にはかなり重なり合う部分があるようで、暇も長引くと孤独になる。それも本人が気づかないうちに。
世界情勢の変化に疎くなり、逆に自分の体調不良には敏感になり不安になって医療機関を受診したりする。
だから、医療機関の待合室は元気だけど暇な高齢者であふれかえるようになる。
『理屈コネ太郎』は消化器担当の医師なので、便秘を訴えて受診する高齢者と頻繁に遭遇する。殆どの患者は、毎日排便があるのが健康で当たり前だと思いこんでいるので、2日も排便がないと便秘を主訴に受診したりする。
そういう高齢患者も、かつて自身が社会人で現役バリバリの頃は、排便の回数なんて考えている暇などなかったはずだ。
仕事を辞めた高齢者は、特に独居の高齢者は、便秘以外にも色々な体調不良を訴えて受診する。
喉の違和感とか、なんか胸がスッキリしないとか。
こういう高齢者には検査をしても何も治療すべき異常がみつからないことなど普通だ。
ではなぜ何もやる事がない高齢者は便秘をなどの体調不良を訴えやすいのか。その答えは、空白の時間の多さである。時間を持て余していると言ってもよい。
一言で言えば、過剰に暇なのだ。暇過ぎるのである。
暇もある程度の長さの時間まではバケーションとして愉しめるが、長すぎる暇は孤独を呼び寄せる。
長期に暇であることは、社会から求められていない事を骨身に感じさせるから孤独になる。
人間はそういう心理状態には極めて不慣れな生き物なのだろう。
では、そうならないためにはどうしたら良いのか。特に趣味や情熱を傾ける対象がなければ、取り敢えず働き続ける事である。
情熱を傾ける対象を持つ高齢者は少ないが、こういう人は情熱を維持したままこの世を卒業できれば最高だろう。
とりあえず働くといっても、ただ仕事を続ければ良いのではない、職場の雰囲気を明るくして、職場の収益性に貢献できる働き方に挑戦しよう。
そうすれば、職場から認められ、必要とされる人材になる。
こういう生活だと心にも張りが出て、体調不良を探そうとはしなくなるし、2日程度排便がなくとも苦しくなければ気にならない。
悠々自適な生活とは、絵に描いた餅であり、永遠の愛や運命の恋人と同様に、どこかの広告屋さんが考え出して、いつのまにか社会に浸透してしまった都市伝説なのだ。
人間は長期的な暇には耐えられない生き物なのである。
十分な老後資金があっても、悠々自適な生活はかなり難易度が高いと知っておいて欲しい。
人間という生き物の特性を考えると、悠々自適な生活なんて先ず無理だと『理屈コネ太郎』は思う。
今回は以上
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