私、理屈コネ太郎は別に好きで日本人に生まれたわけではない。生まれた土地や国籍を選べるわけはなく、気づけば日本人で、この社会で生きていた。それが嫌だったわけでは勿論ないが、特段誇りに思っていたわけでもない。与えられた環境に順応するだけの日々で、そこに深い考えはなかった。
若い頃、私はアメリカに勝手に憧れていた。アメリカ文化は自由でダイナミックで、個人が尊重されるアメリカンな世界だと薄い根拠で信じていた。それに比べて日本は閉塞的で窮屈に思えた。特に、学校や社会に根付く「年功序列」の関係性には息苦しさしか覚えなかった。年齢や年次で上下関係が決まり、理不尽なまでに服従を求められる文化が、どうしても性に合わなかった。無能な上司や先輩と仕事をする辛さ以上に辛い事はなかなかない。
40代後半になってから、自分の考え方に変化が生まれた。インターネットの発達で、それまで抱えてい疑問についての確度の高い情報に触れられるようになった。現近代史について自分で資料を探し、学ぶ中で、学校教育では知ることのなかった日本の歴史や、戦後社会の背景や偏向が見えてきた。大東亜戦争での敗北がもたらした影響や、義務教育がどれほど日本的である様々な事柄に抑制的な内容を含み、自国の歴史や文化への自信を削ぐようなものだったかにも気づいた。
特に、冷戦時代の海外の情報に触れる中で、国家がプロパガンダや文化的影響力を駆使してどのように自国の利益を守ろうとしているか、その意図も理解できるようになった。それを考えると、日本が平和で安全に見えるのは、実は多くのリスクの上に成り立っていることを実感する。若い頃は気づきもしなかったことだ。
とはいえ、日本が世界一素晴らしい国だとは今でも思えない。諸外国には魅力的な文化や制度、自由な雰囲気があり、時に日本が見劣りするように感じることもある。しかし一方で、日本や日本人がほぼ世界有数であると間違いなく言える伝統や文化や技術も多いのは事実だ。おそらく世界一古い皇統を持つ民と国の安寧を毎日祈る祭祀王のいる国であり、おそらく世界一のモノづくりを支える科学と技術と勤勉さを誇る国であり、おそらく世界一治安の良い国と言える状況(最近は怪しくなってきたが…)にある。そしておそらく、世界一多い自然災害に見舞われながらも、そこからの復活を何度も示してきた国だ。さらに、おそらく世界一簡潔で厳しい服務宣誓を真摯に唱えた自衛隊の人々がいる国でもある。数え上げればきりがないほど、日本には世界に誇れるものがある。
そんな日本だからこそ、もっと良い国になって欲しいと願う。周辺国から武力で脅迫されることなく、三度目の核攻撃を受けることのない、確かな抑止力を持った国であって欲しい。そして、その力を背景にした外交力で、流動的な世界情勢の中でも揺るがない地位を築いて欲しい。さらに、外国からの干渉やプロパガンダをやんわりと、しかし敢然と退ける国柄であって欲しい。
また、もっと日本人を大切にする政策を掲げるリーダーや政治家を応援できる文化が広がって欲しい。政策やリーダーに厳しい目を向けることも大切だが、良いものには拍手を送り、みんなで協力し合おうという前向きな雰囲気が根付いて欲しい。そうなれば、今よりも生きやすい国になるような気がする。外国に良い顔したいばかに日本人や日本の国益を蔑ろにする政治家にはウンザリである。
日本人に生まれちゃったので、この国と共に生きていくしかない。それでも、この国がもっと安心できる場所になり、私たちの先祖や私たちが大切に思うものを守りながら、次の世代につないでいけるような未来が訪れることを、ただただ願っている。