自分の経験則を統計学と呼ぶ人に近年やたらと出会うようになった気がする。
もし、自分の経験則を”統計学的に正しい”などという上司や先輩がいたら、そういう人はあまり信用しない方がいい。
『理屈コネ太郎』はこういう人は一切信用しない。
「そうなんですね」って信用しているフリをしていれば十分である。
まずその人は統計学を一度もきちんと勉強した事がないのが明白だし、経験則と科学の間に境界線がある事を知らないのだ。
たとえてみれば、自分の健康法を医学と呼ぶくらい頓珍漢。
経験と科学の境界線が見えていないのは、非常に残念。
血液型性格分類の話がわかりやすいかな。
血液型性格分類は、学問的にはほぼ否定されている。しかし、ときどき「血液型で性格はわかれますよ、だって実際に統計学的にだいたいそうなってますし」という人物と遭遇するが、統計学的にだいたいそうなってます…の部分が完全にご自身の経験則の事であり、それでは統計学ではないのだ。
この人、統計学を勉強した事ないのがバレバレである。勉強した事ないのに勉強しないと分からないことを分かってるように話すのは宜しくない。
複数の利害関係のない本物の心理学者や統計学者の研究結果よりも、自分の経験則の方がエビデンスレベルが上位であるという先達への敬意のなさと、経験と科学の間の境界線の存在を知らないのが非常に残念である。
誤解しないで戴きたいが、自分の個人的見解を発言することそのものは全く問題ではない。
血液型性格分類もお喋りの話題としては『理屈コネ太郎』もわりと好きである。
「あの人ってA型だってさ、やっぱりねえ」
とか
「誰誰さんはO型なんだって、意外ィ~」
は愉しいお喋りだ。
自分の経験ではA型の人は○○、B型の人は◎◎、 AB型の人は△△、 O型の人は□□なんて類型化するのは全く問題ないし、自身の考えとして責任をとれる範囲で発言するのもオッケー。
でも、自分の経験則を統計学的に正しいと表現するのは間違いである。
世の中には、統計学的に証明された…とか、科学的に証明された…とか自称する霊感商法もどきの民間療法が横行しているが、その遠因は”統計学的に正しい”という表現の意味を知らない人が多いからだと思う。
たとえ他者を誤認に誘導するという悪意がなくても、自身の経験則をもって統計学的に正しいと言う人は、蒙昧という理由だけで信頼に足る人物ではない。
とくに、中高年のオジサンにこういった誤りをする人が多いので、おなじオジサンとして『理屈コネ太郎』は恥ずかしい。
因みに、下記の表現はアリだと思う。
「血液型性格分類については自分を含めて多くの人が”あるよね”と考えている事を考慮すると、科学的には血液型性格分類が否定されているってのは、何かの間違いなんじゃないの?」
如何だろうか。
以上。
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